いかにもアメリカらしい豪快な発想
スポーツカーにスーパーカー、ハイパーカーやホットハッチ、ライトウェイトスポーツなどなど、スポーツ性能に優れ、スポーツドライビングを楽しむことを目的にしたクルマの呼び名は、そのクルマの性格に合わせていろいろある。
なかでも独特なのがアメリカ車の一部を指す「マッスルカー」という呼称。もしかしたらアメ車のハイパフォーマンスなクルマをすべて「マッスルカー」と呼ぶと勘違いしている人もいるかと思うが、必ずしも正しくはない。それでは「マッスルカー」とはどんなクルマのことを指すのか考察してみよう。
ウィキペディアによると、「マッスルカー」は”Oxford Dictionary”で「高パフォーマンス(高速)の自動車だが、なかでもV8エンジンを持ち、米国で主に1960年代と1970年代に製造されたスポーツカー」と定義。また、”Merriam-Webster dictionary”では「米国製の2ドア・スポーツカーで、高出力のエンジン搭載で高速運転のために設計されたもの」と定義されている。広義では、アメリカ車の歴史上はじめて300馬力超のエンジンを積んだ量産車である「1955年式クライスラー300」が起源とのこと。とはいえ、正直ピンとこない。
やはり、もっとも「マッスルカー」のイメージに合うのは、1960~1970年代前半、アメリカが元気だった頃の見るからにスポーティでスタイリッシュで速かった、インターミディエイトクラスのクルマたちだろう。
もともとアメ車はボディが大きくなればなるほど高価でハイパフォーマンスな傾向にあった。そこへもう少し手軽にスポーツドライブを楽しめるようにと、通常であればフルサイズクラスのクルマに搭載されるハイパフォーマンスエンジンを、あえてフルサイズよりも小さくコンパクトよりも大きいインターミディエイトクラスのクルマに搭載したモデルが登場する。
それこそが1964年式ポンティアックのル・マン(テンペスト)に用意されたパッケージオプションの「ポンティアック GTO」。我々がイメージする”マッスルカー”の元祖だ。以降、シボレー・シェベルやフォード・トリノ、ダッジ・チャレンジャーなどなど、GM、フォード、クライスラーの各ブランドからマッスルカーが誕生することになった。
いわゆる「スポーツカー」と「マッスルカー」が大きく異なるのは、欧州を中心としたスポーツカーが高性能なエンジンの搭載に加えてボディに軽量化を施すなどでパフォーマンスアップを狙っていたのに対し、「マッスルカー」は軽量化することなく、あくまでも大排気量の高出力エンジンを搭載することでパフォーマンスアップを追求するという、いかにもアメリカらしい豪快な手法がとられたことだろう。
この意味からすると、一部メディアでは「マッスルカー」として紹介されることもあるシボレー・コルベットは、初代モデルから一貫して軽量化も念頭に欧州スポーツカーにも劣らない性能のクルマを目指して開発されており、スポーツカーではあってもやはり「マッスルカー」ではない。
1960年代にポンティアックGTOによって開拓され、数多のモデル登場によって拡大した「マッスルカー」の市場は、1970~71年にピークを迎える。そして1972年以降は急速に縮小へと転じ、1973年のオイルショックが決定的となって多くのマッスルカーが姿を消すことになった。実質的に、「マッスルカー」が栄華を誇っていたのはわずか10年ほどにすぎないが、それでもアメリカ車を代表するクルマとして「マッスルカー」は今でも語り継がれる存在となっている。
このように大まかに定義こそされているが、厳密な決まりがあるわけではない。今回の考察も「マッスルカー」の定義の一案として参考にしてもらいたい。