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F1は走る実験室!ホンダ参戦の歴史と市販車ラインナップの関係性

過去3回のF1レース撤退は業績悪化が原因

 2019年のF1GPシーズンに大活躍したホンダ。だが、過去3度の参戦と撤退の歴史を紐解くと、それらの理由が市販車販売と大きく関係している事がわかる。現在、業績低迷に陥っているホンダは、またもや撤退するのか? 過去のF1参戦の背景と、各時期に販売していた市販車の素性などから、その傾向などを振り返ってみる。

 2015年にパワーユニットサプライヤーとしてF1世界選手権に復帰したホンダは、参戦5年目となる2019年、第9戦のオーストリアGPで、2006年のハンガリーGP以来となる優勝を飾り、シーズン通算3勝をマーク。ホンダの復活を強く印象付けていた。しかし、2019年度の業績低下から、2020年の参戦活動が不安視された時期もあった。結局、2019年11月末にレッドブルとトロロッソに対するパワーユニットの供給を発表。さらに、新規定となる2021年にも参戦することを表明。当面、ホンダのF1参戦活動は継続される見通しとなった。

 さて、F1を「走る実験室」と捉え、1964年にF1参戦活動を開始したホンダにとって、現在は第4期の活動期にあたる。だが、逆の見方をすると、過去、3度活動の休止があったことになる。考えてもみれば、企業の最先端技術や多額のコストを必要とするF1参戦活動に際し、企業の経営状態が参戦活動におよぼす影響力は決定的で、過去3度の活動期がどういったかたちで幕引きとなったのか、その当時のホンダが置かれた企業状況を、製品ラインナップと合わせて振り返ってみたいと思う。

 

1964年からの第1期で4輪市場に参入

 すべてホンダ内製で臨んだ第1期の活動期は、1964年から1968年まで。活動開始の1964年は、ホンダが4輪市場に本格参入を始めたタイミングで「市場で企業の存在感を示すには、レース活動とその結果が大きな影響力をもたらす」という本田宗一郎(ホンダの創業者)の方針に基づくものだった。生産車両はS360、S500、S600といった一連のスポーツカーとT360という軽トラックの時代である。

 まさにホンダの4輪事業本格参入期で、F1活動最終年となった1968年は、軽自動車N360の成功を受け、ホンダ1300のリリースによって普通自動車の市場に足を踏み入れるタイミングだった。

 ちなみに、第1期F1の最終モデルとなるRA302は、一体式二重空冷方式など、量産車のホンダ1300に応用されるメカニズムを持っていたが、本格デビューのフランスGPで炎上事故を起こす。これが直接の原因ではなかったが、この年いっぱいでF1活動から撤退。ホンダ1300のプロモーション活動で、RA302が使われることはなかった。第一期の活動休止は、ホンダ1300の開発・投入による4輪市場本格参入の時期と重なっていた。

 

1983年からの第2期はターボ車が全盛

 第2期の活動は1983年から1992年まで。ターボF1の時代で、ウイリアムズ・ホンダ、続くマクラーレン・ホンダが圧倒的な強さでF1GPを席巻。1988年には全16戦中の15勝を記録した。

 一方、量産車の方は、F1活動再開期の1983年は、排出ガス対策が決着して性能至上主義といわれた高性能化の時代。シティ、シビック、CR-X、インテグラ、アコード、プレリュードをラインナップしていた。

  さらにバブル経済の追い風も手伝って、最上級車種のレジェンド(1985年)、アコードの上級車種としてインスパイア(1989年)、そして高性能の象徴であるスポーツカーNSX(1990年)を相次いでリリースしていた。

 この時代、F1では圧倒的な性能を発揮したホンダのターボ技術だったが、意外にも市販車への応用には消極的で、わずかにシティターボと初代レジェンドが存在する程度で、性能重視、スポーツモデルの主力は、自然給気の4バルブDOHCエンジンが担うモデルラインナップだった。

 自然給気3.5リッター時代のF1から撤退した1992年は、バブル経済崩壊の時期と重なり、ホンダの経営実績が悪化。実用車としての4ドアセダンの雲行きが怪しくなっていた頃で、ミニバンブームの兆しが始まっていた。ホンダは1994年にオデッセイ、1996年にステップワゴンを発表し、4ドアセダンに代わる新たにファミリカー形態、ミニバン戦線に名乗りを上げることになる。

 

ミニバン時代に復活した2000年からの第3期

 第3期のF1活動は2000年から2008年まで。自動車市場の主力はミニバンの時代で、ホンダの屋台骨もオデッセイ、ステップワゴンに加え、キャパ、モビリオ、ストリームによるフルラインナップ・ミニバン路線が支える体制に変わっていた。さらにSUVのCR-V(1995年)、HR-V(1998年)、MDX(2001年)、スポーツカーとしてS2000(1999年)をリリースする状況だった。

 第3期のF1活動は、第2期の大成功と較べ、かなり消化不良感を残すものだった。オールホンダ体制となった2006年の第13戦ハンガリーGPで、ジェンソン・バトンが、結果的に第3期唯一の勝ち星を記録するにとどまった。撤退は2008年12月に表明。サブプライムローン問題(リーマンショック)に起因する世界金融危機の影響で、F1参戦活動の継続が経営基盤を圧迫する恐れがあると判断しての撤退だった。

 ラインナップモデルを通して見るホンダのF1活動は、第1期が4輪市場参入期、第2期が性能至上主義まっただ中、第3期がミニバン主流期となり、現代の第4期はゼロエミッションへの移行期と色分けできるだろう。

 2020年もF1活動の継続を発表したホンダだが、さて今年はどんなレースを展開するのか? また、その活動はさらに続けられるのか? 非常に気になるところだ。

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