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ライバル心を燃やすキャッチコピーも! 昭和に大流行&話題になったクルマのCM5選

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TEXT: 石田 徹  PHOTO: Auto Messe Web編集部

インパクトのあったCMを懐かしむ

「コマーシャルは時代を移す鏡」と言われて久しいが、クルマのCMにも名作は数限りなくある。もはや令和の時代になったが、やはり自動車もそのCMも一番輝いていたのは昭和の後半だろう。その中でもとくに話題となったり、後世に語り継がれるべき5つの作品を紹介しよう。

・日産スカイライン

 もはや50代後半でないと通用しないかもしれない旧作だが、1972年に登場した4代目の「スカイライン(C110系)」のCMのインパクトは限りなく大きかった。キャッチコピーは、おなじみの「ケンとメリーのスカイライン」だ。

 CM作品としてはごくオーソドックスで、ケンとメリーを演じる若いカップルがどこかを訪ねたり、遊んだり、見つめあったりするというだけ。加えて、男性フォーク・デュオのバズ(BUZZ)が歌った『ケンとメリー〜愛と風のように〜』の爽やかなメロディと歌詞も爆発的人気を生んだ一因だろう。

 ノベルティのTシャツも相合い傘を使ったデザインセンスが素晴らしく、本当によく売れていた。たった197台しか生産されなかった通称「ケンメリGT-R」の絶版人気も、ブームの隠し味になったと言えるだろう。

 ちなみに“箱スカ”と呼ばれた3代目スカイライン(C10系)と比べて4代目の“ケンメリ”は軟弱になったという説は、ことCMに関してはまったくの誤解。BGMこそ違うが、「愛のスカイライン」をキャッチコピーにした3代目のCMからは完全にキープコンセプトだった。

・いすゞジェミニ

 2番目に紹介したいのが、1985年にデビューした2代目「ジェミニ」のCM。2002年以降は国内向けの乗用車生産から撤退したいすゞ自動車だが、ベレットや117クーペなど、名車と呼ばれるクルマを世に送り出したことで知られている。そして、2代目ジェミニに与えられたCMコピーは「街の遊撃手」だった。

 2台のジェミニがパリの街中をアクロバティックに走り回るシーンは、いま見ても衝撃的。FRからFFになった2代目ジェミニは『イルムシャー』や『ハンドリングbyロータス』というスポーティなグレードを揃えていたが、まさにメーカーの心意気を感じさせる好感度の高いコマーシャルだった。

 CMでドライブしていたのは、レミー・ジュリアン氏が率いるスタントの世界では超一流のチーム。『007シリーズ』などのカーチェイスも担当していたプロ中のプロとのことだ。

・ホンダ シティ

 昭和の時代、ホンダのテレビCMには話題作が多く、出演者やBGMにも光るものがあった。2代目インテグラでは「カッコインテグラ」のコピーとともにマイケル・J・フォックスを出演。3代目シビックには“サッチモ”ことルイ・アームストロングの名曲『What a Wonderful World』を採用した。

 どちらも記憶に残るCMだった。でも本稿ではあえて、1981年にデビューした初代「シティ」のCMを紹介したい。トールボーイスタイルや多彩なカラーバリエーション、折りたたみ式バイクのモトコンポとのコラボレーションなど、クルマも個性満点だったがCMも決して負けてなかった。

 イギリス出身のマッドネスが自ら演奏する『In The City』のスカ・ビートに乗って、ムカデダンスを披露。曲中に入る「ホンダホンダ」という合いの手も絶妙で、その真似が流行したほど。マッドネスはその後も『Driving in My Car』という楽曲が、追加されたシティ・ターボやマンハッタンルーフのCMに採用された。

 ちなみにシティという車名は、某社の登録済み商標だったのをホンダがどうしても欲しくて金銭または交換トレードで獲得したというウワサが当時流れていたが、真相は未だ定かではない。

・トヨタ セリカ

 次に紹介するのは1979年の2代目「セリカ」のCM。この作品は名作というより、史上もっとも挑戦的なCMコピーだったということで取り上げてみたい。

 題して「名ばかりのGT達は、道を開ける」。当時はオイルショックの後、厳しくなった排ガス規制から各社が抜け出せない状況だったが、トヨタはスポーティなツインカム(DOHC)エンジンをラインアップ。この高性能を残していたことを誇示する内容だった(厳密にはいすゞにも存在していた)。いずれにしても、ライバルの日産スカイラインがDOHCではなく、SOHCにターボチャージャーを装着した仕様で対抗してくることをも想定した先制パンチだったといえるだろう。

 しかも後日、サブキャッチコピーに「ツインカムを語らずに、真のGTは語れない」とまで追加。もちろん日産も黙っているわけにはいかず、1980年代に入ってからは4気筒のFJ20エンジンを開発してDOHCを復活。さらに6気筒のRB系エンジンも登場させたことは読者の皆さんもご承知の通りだ。

・三菱ミラージュ

 最後はクルマの売れ行きよりも、コマーシャルだけが独立してヒットした典型的な例。1984年に登場した2代目「ミラージュ」のCMなのだが、発表当初のキャラクター忌野清志郎が「ベイビー!逃げるんだ」のCMソングとともに展開したが、作品自体は不発に終わった。

 そこで、翌85年からオンエアされたバージョンに登場したのが「エリマキトカゲ」。このパプアニューギニア島やオーストラリア北部に生息する爬虫類が、後ろ足だけで直立して走るユーモラスな映像が茶の間の注目を浴びて、ブームにすらなった。

 作品としてはミラージュの走行シーンとエリマキトカゲが交互に登場するだけというシンプルな内容。エリマキトカゲは覚えていても、そういえば何のコマーシャルだったか忘れてしまった人の方が多いだろうと思う。

・日産セフィーロ

 番外編として、昭和から平成に時代が変わる直前に、大いに話題を読んだクルマのコマーシャルがあった。1988年に登場した日産「セフィーロ」のCMで、シンガーソングライターの大御所・井上陽水が助手席から「皆さん、お元気ですか?」と語りかけていた人気作品だ。

 オンエア開始からまもなく、昭和天皇が体調を崩されたことに配慮して、このセリフの部分の音声を消して(いわゆる口パクで)放送したことで逆に注目を浴びることになった。なぜ、井上陽水が助手席に座っていたかはあえて説明しないが、コンプライアンス上の問題だった。

 さて、平成の時代のクルマCM傑作編は後日またお届けするとして、令和の時代にも、僕らを魅了するCMがぜひ登場してもらいたいもの。香川編集長にもぜひ「トヨタイムス史上最大のサプライズとスクープを!」と、リクエストしておこう。

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