バブル景気に踊らされた”走る不動産”
日本が好景気に沸いた1980年代中盤、1台のスーパーカーがデビューする。そう、「フェラーリF40」である。
1987年にフェラーリが創業40周年を記念して開発したリアミッドシップ、後輪駆動の2シータースポーツカーで、それまでのカタログ値ではなく、掛け値なしに”最高速300km/hオーバー”の実力を持つ公道最速のフェラーリだった。”Tipo F120A型”と呼ばれる2936ccの排気量を持つV8ツインターボエンジンは、最高出力478馬力を発生。公称ながら最高速度は324km/hとアナウンスされ、当初発表された生産台数は350台とも400台ともいわれた(最終的には約1300台が生産)。
もちろん、誰でも簡単に購入できるものではなく、当時の輸入元である「コーンズ」が設定した4650万円という車両価格もそうであるが、選ばれたオーナーでなければ購入の権利が与えられなかったのも事実。少なくとも過去にディーラーからフェラーリを何台か購入した実績のある、マラネロ本社が認めたオーナーでなければオーダーリストに載ることさえできなかった。
1987年7月21日、イタリアのマラネロで開かれたF40の発表会は、当時89歳になるエンツォ・フェラーリ自身が出席するという特別なものであった。参加できたのは、F40をオーダー済み、もしくは購入候補者としてディーラーから案内された人でなければならなかったという。イタリアはマラネロまでの交通費は、もちろん自腹だ。
日本での上陸イベントは、1988年4月に伊豆までのツーリングという形で実施。フェラーリのオーナーが愛車を駆って多数参加し、その日舞台となった伊豆スカイラインは、さながらフェラーリの大名行列のようであった、と当時を知る自動車メディア関係者は証言してくれた。
まったくの余談だが、イベントが開催されたのは4月19日(火)で、その模様を当時26日発売の自動車専門誌が掲載。現在のようなデジタルではなかった銀塩フィルムでの撮影と記事制作、雑誌印刷から店頭に並ぶまでの時間を考えれば、かなり驚異的なスピードでの掲載だったといえ、関係者の間では今でも語りぐさになっているそうだ。撮影した画像がスマホで数秒後にアップできる今とは隔世の差である。