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「転売するだけで1億円の儲け」と言われたフェラーリF40の真相

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TEXT: Auto Messe Web編集部  PHOTO: Ferrari

F40の影響は他モデルの高騰化にもつながる

 日本の好景気、つまり折からのバブル期も重なって”簡単に購入できない”F40は、取引価格をグングンと上昇。ドイツやスイスでデリバリーされた個体があれば、たとえ倍の価格でも購入者は後を絶たず、輸入販売業者のウエイティングリストには何十人もの名が連なったという。最盛期、その価格は2億5000万円までになったといわれている。

 もちろん、先に購入できた幸運なオーナーは「転売するだけで1億円の儲け」といわれたが、それも大げさではなかった。ごく短期間のことではあったが、転売される度に値を上げ、多くのオーナーの懐を潤したのだ。

 そして、F40に引きずられるようにほかの銘柄も高騰する現象が巻き起こる。当時のラインアップといえば、180度/V12エンジンを搭載する「テスタロッサ」をフラッグシップに、V12エンジンをフロントに搭載した2+2の「412」、3.2リッターV8エンジンをリアミッドに横置きした2シーターモデルの「328」、同じくV8をリアに搭載した2+2の「モンディアル」というラインアップだったが、そのどれもが軒並み高価格で取引された。それは、いまでこそアメ車の一部に残る新車並行輸入販売業者の最盛期とも符合。当時はアメリカよりも圧倒的に欧州からの輸入が多かったのだ。

 例えば、フェラーリ・テスタロッサの1990年当時の価格は2580万円だったが、倍以上ともなる5000〜6000万円で販売。程度にもよるが、中古車でも3000万円前後で取引された例が多かったと記憶している。

 しかしながらバブル崩壊後の相場は、イッ気に下落。特に”新車並行”は見向きもされずに店頭在庫となり、運が悪ければ業者の塩漬け物件に。スーパーカーを取り扱っていた中古車店の倒産や夜逃げが増えたのは当然である。1970年代後半のスーパーカーブーム後の需要の落ち込みを凌いだ(といっても、子供中心のブームだったので実害は少なかったらしい)、東京・目黒の老舗スーパーカーショップA社や、後にランボルギーニ正規輸入元となったJ社、東海地方で勢力を拡大し自動車専門誌に派手な広告を掲載していたI社も21世紀を待たずして消えてしまったのである。

 さきほどのテスタロッサについては、後継モデルの512TRやF512Mの登場もあって徐々に値を下げ、もっとも安いプライスでは800万円台まで下がりきった例もあった。

 いっぽうフェラーリの新車は、しかるべき従来のフェラーリコレクターに、正規ディーラーを通じて正規の価格で納車されていったので、それほど大きな影響はなかったと聞く。もちろんだ。正規ディーラーでフェラーリを購入する顧客に、プレミア価格は適用されることなどないからである。

 全世界の需要に対してフェラーリ社の生産が追いつかず、納期が通常よりもかかったという影響はあっただろうが、いってしまえば影響はその程度。割を食ったのは優良顧客とは到底呼べない、バブル景気に踊らされ、フェラーリを”動く不動産”と呼んだクルマを金融物件扱いした残念な人たちだったという、至極当たり前のオチである。

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