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合併交渉は合意寸前! 映画「フォード vs フェラーリ」で見るアメリカのビジネス戦略

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

プライドと意地がぶつかり合って交渉決裂

 フォードとフェラーリの提携交渉が始まったのは1963年のことでした。話し合いは順調に進み、ついにイタリアはマラネロにあるフェラーリの本社にヘンリー・フォードを招いて契約調印の運びとなりました。しかし、最後の最後でエンツォ・フェラーリが買収交渉を一方的に打ち切ることになってしまったのです。

 この年1963年にル・マンを制したのが、250P。こちらはシミオン基金自動車博物館で撮影したもの。

 決裂には複数の理由があったと伝えられていますが、レースのスペシャリストであり王座に君臨していたフェラーリと、GMとともに世界的なビッグメーカーとなっていたフォード、それぞれのプライドと意地がぶつかり合った(すれ違った?)結果に他なりません。そして結局、フォードは自前でレースカーを用意、フェラーリに対し王座奪回をかけた勝負に出ることになりました。

 フォードが採った方法は、とてもスマートで、イギリスにレース専門会社であるフォード・アドバンスド・ビークルズを立ち上げるとともに、以前からエンジン供給していたローラ・カーズと提携。ル・マン24時間を始めとする国際マニュファクチャラーズ選手権を戦うレーシングスポーツカー、フォードGT40を開発したのです。

 フォードGT40は64年式のプロトタイプで2016年のフェスティバルofスピードで撮影。

 名車の繰り広げてきたドラマ、忘れてはならないものもたくさんあります。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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