プライドと意地がぶつかり合って交渉決裂
フォードとフェラーリの提携交渉が始まったのは1963年のことでした。話し合いは順調に進み、ついにイタリアはマラネロにあるフェラーリの本社にヘンリー・フォードを招いて契約調印の運びとなりました。しかし、最後の最後でエンツォ・フェラーリが買収交渉を一方的に打ち切ることになってしまったのです。
この年1963年にル・マンを制したのが、250P。こちらはシミオン基金自動車博物館で撮影したもの。
決裂には複数の理由があったと伝えられていますが、レースのスペシャリストであり王座に君臨していたフェラーリと、GMとともに世界的なビッグメーカーとなっていたフォード、それぞれのプライドと意地がぶつかり合った(すれ違った?)結果に他なりません。そして結局、フォードは自前でレースカーを用意、フェラーリに対し王座奪回をかけた勝負に出ることになりました。
フォードが採った方法は、とてもスマートで、イギリスにレース専門会社であるフォード・アドバンスド・ビークルズを立ち上げるとともに、以前からエンジン供給していたローラ・カーズと提携。ル・マン24時間を始めとする国際マニュファクチャラーズ選手権を戦うレーシングスポーツカー、フォードGT40を開発したのです。
フォードGT40は64年式のプロトタイプで2016年のフェスティバルofスピードで撮影。
名車の繰り広げてきたドラマ、忘れてはならないものもたくさんあります。