フォードGT最終進化モデル「Mk.Ⅳ」
67年のル・マンで連勝を果たす
そして、フェラーリとの最終決戦となるであろう67年シーズンに向けて、フォードの支援を受けながらシェルビーで開発されたモデルが「Mk.Ⅳ」。先代のMk.Ⅱに対して、完全なフルモデルチェンジとなりました。
モノコックはアルミパネルによるツインチューブからアルミハニカム材を用いたものとなりシャシー剛性を高めただけでなく、大幅に軽量化。ボディカウルも一新され、なだらかな曲面で構成されたシルエットに生まれ変わりました。
こうして誕生したMk.Ⅳは67年の世界スポーツカー選手権のシリーズ第2戦「セブリング12時間」に登場するや、見事にデビューレースを勝利。その勢いを継続したままル・マンに乗り込んできたフォード陣営は、予選からフェラーリを圧倒しました。
そして決勝ではフォード、フェラーリともにトラブルが続出しましたが、エースナンバーを纏ったダン・ガーニー/A.J.フォイト組は最後までトラブルフリーで快走。2位のフェラーリに大差でトップチェッカー。前年のMk.Ⅱに続いて2年連続優勝を飾るのです。
赤いボディに細いツインストライプの走る「#1号車」は、67年のル・マンで優勝したMk.Ⅳで、ヘンリー・フォード博物館で撮影したもの。フロントビューが一新されているのは一目瞭然。全体的なシルエットも変更されていますが、Mk.Ⅱの流れを汲んでいることも明らかで、一目でフォードGTと分かります。
ミラージュをコンバートし直した最終モデル
68~69年のル・マンを連覇
フォード・アドバンスド・ビークルズ(FAV)を率いていたジョン・ワイヤーは、新たに「ジョン・ワイヤー・オートモーティブ・エンジニアリング(JWAE)」を設立。67年からはフォードGT40をベースに、特に空力を追及してカウルワークに手を入れた「ミラージュM1」を製作し、ル・マン参戦を始めていました。
68年に車両規定が変更され、スポーツカー・カテゴリーのエンジン排気量が5ℓ以下に引き下げ。66~67年と連覇してきたフォードは、フェラーリを打ち負かし目的を達成したと参戦を終了。これに代わってJWAEは「ミラージュ」をフォードGT40にコンバートし直してル・マンに参戦を続けたのです。
車両規定に則って制限いっぱいとなる5ℓとしたフォード製のプッシュロッドV8エンジンに換装。大きく拡大したリアのトレッド(およびリアタイヤをカバーするためのフェンダー形状)は、オリジナルのGT40との大きな違いとなっています。
68年のル・マンでは、予選トップ3を奪った3ℓスポーツ・プロトタイプのポルシェが、決勝ではトラブルに見舞われて後退していくのをよそ目に上位に進出。中盤以降は独走となりチームとして初優勝、フォードGT40としては3連覇を達成。翌69年もトラブルに見舞われるポルシェを信頼性で勝るフォードGT40がパスする展開となりました。
ただし、前年のような独走とはいかず、生き残った「ワークス・ポルシェ908」と接近戦のトップ争いを繰り広げ、何とかこれを振り切ってル・マン4連覇を達成しました。
淡い水色にオレンジのストライプが映える“Gulfカラー”の「#34号車」は2016年のFOS、GT40のデビュー50周年の記念イベントに参加した個体。リアのフェンダー形状など68~69年にル・マンを連覇したミラージュ改(正確にはフォードGT40改ミラージュM1をGT40にコンバートし直した)フォードGT40と同型のモデルです。
ホモロゲーションモデルとして50台以上を生産
ロードゴーイングモデル「Mk.Ⅲ」が誕生
1966年には車両規定に一部変更があり、GT改めスポーツカー・カテゴリーでは50台の最低生産台数が必要になりました。チームオーガナイズをキャロル・シェルビーに委ねたFAVは、ホモロゲーションモデルとして50台を生産。その中で市販され一般公道を走れるロードゴーイング仕様にコンバートされたモデルが「Mk.Ⅲ」なのです。
ロードゴーイングが可能となるようにエンジンのチューニングが見直され、最高出力は306馬力に引き下げ。コクピットではシフトレバーがセンターに移された他、灰皿も取り付けられました。外観では、ヘッドライトが角形2灯式から丸型4灯式に変更されたのが最大の違いですが、クーリングシステムが見直されるとともに、ノーズのトランクリッドにキーシリンダーが装着されたことも見逃せない特徴でした。
ワインレッドのMk.Ⅲは68年式の個体で、デビュー50周年の記念イベントが行われた2016年のFOSで撮影。