フォードGTすべてのモデルを紹介
2020年の年初に公開された映画「フェラーリ vs フォードGT」の劇中で、レースの王者、フェラーリに挑んでいくフォードのとあるクルマに関心が高まっているようです。過去記事において「ライバル物語 フォード vs フェラーリ」で紹介したように、名チューナーであるキャロル・シェルビーとドライバーのケン・マイルズという、実在する人物2人を主人公にした人間ドラマです。ジョージア州の片田舎にル・マンを模した“サーキット”を用意して行なわれた撮影には、競技車両も高性能なレプリカを使用しており、そのクルマたちを見るだけでも映画のチケットを購入するだけの価値がある、と思った人も少なくないでしょう。
今回は、そんなもう一つの主役、「フォードGT」について、プロトモデルから最終バージョンまで、すべてのモデルを紹介することにしましょう。
64年にデビューした初代モデル「Mk.Ⅰ」
速さを見せるも初挑戦ル・マンではリタイア
1963年にフェラーリとのビスネス提携交渉が決裂し、レース王者フェラーリを陣営に引き入れることを諦めたフォード社は、自力でル・マンに挑み、王者のフェラーリを打倒しようと決断してゆきました。
そして英国を拠点にしたレース専門会社「フォード・アドバンスド・ビークルズ(FAV)」を立ち上げるとともに、それまでにもエンジンを供給していたローラ・カーズとジョイントして開発することになったクルマ、それが「フォードGT」だったのです。
ちなみに車高が40インチ(約101.6㎝)だったことから”GT40″と呼ばれるようになりましたが、フォードでは公式的にフォードGTと呼んでいました。
白ボディでボンネットをマットブラックとした「#9号車」は64年式のプロトタイプ。ル・マンでは縦型4灯式のヘッドライトを装着してフロントビューが変更されました。写真のプロトタイプは、2016年のフェスティバルofスピード(FOS)で撮影したもの。
ベースとなったのはローラの「Mk6 GT」。アルミ製のツインチューブ・モノコックにプッシュロッド(OHV)のフォード製4.2ℓV8エンジンをミッドシップに搭載していました。
ベースのMk6 GTの後継となっておりフォードGTとは兄弟車(従妹車?)の関係であったローラT70 MkⅠスパイダーにもフォードGTの源流が見られると思います。ブルーのボディにホワイトストライプの走る「#22号車」のローラT70は65年式。チェコのモストのヒストリックレースで撮影したものです。
さて、フォードGTは64年国際マニュファクチャラーズ選手権のプロトタイプ部門第3戦、「ニュルブルクリンク1000㎞」で予選2位(決勝はリタイア)とまずまずの滑り出しを見せました。
しかし、第4戦の「ル・マン」でも速さの一端を見せつけて予選2位を奪ったものの、決勝では3台がそろってトラブルからリタイア。さらに翌65年はキャロル・シェルビーがレース活動を統括するように体制を強化しましたが、この年もル・マンでは全車リタイアし、レースの厳しさを思い知らされることになったのです。
ポテンシャルアップした「Mk.Ⅱ」
66年、念願のル・マン初制覇
体制を強化した65年のル・マンでは、よりポテンシャルをアップした進化版「Mk.Ⅱ」がデビュー。強化されたシャシーに「キャロル・シェルビー」のワークショップで製作されたフォードベースでプッシュロッドの7ℓV8エンジンを搭載したもの。最高出力も350馬力から475馬力にまで高められていました。
そして、デビューイヤーとなった65年のル・マンでは惜しくもリタイア。しかし、翌66年のル・マンでは、念願だった初優勝を飾るとともに、ヘンリー・フォードにとっては悲願の打倒フェラーリを果たすことになったのです。
ただし、この年のル・マンではMk.Ⅱを8台投入するとともに、支援部隊としてMk.Ⅰを5台、と物量作戦でフォードは臨んでいました。黒いボディに白のツインストライプが走る「#2号車」は66年ル・マンの優勝車で、色違いの「#8号車」も同レースの参戦車。#2号車は2016年のFOSで、#8号車はフィラデルフィアのシミオン基金自動車博物館でそれぞれ撮影したものです。
これに対し、フェラーリはニューマシンの「330P3」を投入。開発が遅れ熟成には程遠い状況だったフェラーリにとっては、レース前から明暗が分かれており、雌雄を決する最後の戦いは、翌67年のル・マンへと持ち越されていくのでした。
深紅の「#26号車」は66年の主戦マシン「フェラーリ330P3」。67年の330P4はアップデート版。こちらはマラネロのガレリア・フェラーリで撮影。
フォードGT最終進化モデル「Mk.Ⅳ」
67年のル・マンで連勝を果たす
そして、フェラーリとの最終決戦となるであろう67年シーズンに向けて、フォードの支援を受けながらシェルビーで開発されたモデルが「Mk.Ⅳ」。先代のMk.Ⅱに対して、完全なフルモデルチェンジとなりました。
モノコックはアルミパネルによるツインチューブからアルミハニカム材を用いたものとなりシャシー剛性を高めただけでなく、大幅に軽量化。ボディカウルも一新され、なだらかな曲面で構成されたシルエットに生まれ変わりました。
こうして誕生したMk.Ⅳは67年の世界スポーツカー選手権のシリーズ第2戦「セブリング12時間」に登場するや、見事にデビューレースを勝利。その勢いを継続したままル・マンに乗り込んできたフォード陣営は、予選からフェラーリを圧倒しました。
そして決勝ではフォード、フェラーリともにトラブルが続出しましたが、エースナンバーを纏ったダン・ガーニー/A.J.フォイト組は最後までトラブルフリーで快走。2位のフェラーリに大差でトップチェッカー。前年のMk.Ⅱに続いて2年連続優勝を飾るのです。
赤いボディに細いツインストライプの走る「#1号車」は、67年のル・マンで優勝したMk.Ⅳで、ヘンリー・フォード博物館で撮影したもの。フロントビューが一新されているのは一目瞭然。全体的なシルエットも変更されていますが、Mk.Ⅱの流れを汲んでいることも明らかで、一目でフォードGTと分かります。
ミラージュをコンバートし直した最終モデル
68~69年のル・マンを連覇
フォード・アドバンスド・ビークルズ(FAV)を率いていたジョン・ワイヤーは、新たに「ジョン・ワイヤー・オートモーティブ・エンジニアリング(JWAE)」を設立。67年からはフォードGT40をベースに、特に空力を追及してカウルワークに手を入れた「ミラージュM1」を製作し、ル・マン参戦を始めていました。
68年に車両規定が変更され、スポーツカー・カテゴリーのエンジン排気量が5ℓ以下に引き下げ。66~67年と連覇してきたフォードは、フェラーリを打ち負かし目的を達成したと参戦を終了。これに代わってJWAEは「ミラージュ」をフォードGT40にコンバートし直してル・マンに参戦を続けたのです。
車両規定に則って制限いっぱいとなる5ℓとしたフォード製のプッシュロッドV8エンジンに換装。大きく拡大したリアのトレッド(およびリアタイヤをカバーするためのフェンダー形状)は、オリジナルのGT40との大きな違いとなっています。
68年のル・マンでは、予選トップ3を奪った3ℓスポーツ・プロトタイプのポルシェが、決勝ではトラブルに見舞われて後退していくのをよそ目に上位に進出。中盤以降は独走となりチームとして初優勝、フォードGT40としては3連覇を達成。翌69年もトラブルに見舞われるポルシェを信頼性で勝るフォードGT40がパスする展開となりました。
ただし、前年のような独走とはいかず、生き残った「ワークス・ポルシェ908」と接近戦のトップ争いを繰り広げ、何とかこれを振り切ってル・マン4連覇を達成しました。
淡い水色にオレンジのストライプが映える“Gulfカラー”の「#34号車」は2016年のFOS、GT40のデビュー50周年の記念イベントに参加した個体。リアのフェンダー形状など68~69年にル・マンを連覇したミラージュ改(正確にはフォードGT40改ミラージュM1をGT40にコンバートし直した)フォードGT40と同型のモデルです。
ホモロゲーションモデルとして50台以上を生産
ロードゴーイングモデル「Mk.Ⅲ」が誕生
1966年には車両規定に一部変更があり、GT改めスポーツカー・カテゴリーでは50台の最低生産台数が必要になりました。チームオーガナイズをキャロル・シェルビーに委ねたFAVは、ホモロゲーションモデルとして50台を生産。その中で市販され一般公道を走れるロードゴーイング仕様にコンバートされたモデルが「Mk.Ⅲ」なのです。
ロードゴーイングが可能となるようにエンジンのチューニングが見直され、最高出力は306馬力に引き下げ。コクピットではシフトレバーがセンターに移された他、灰皿も取り付けられました。外観では、ヘッドライトが角形2灯式から丸型4灯式に変更されたのが最大の違いですが、クーリングシステムが見直されるとともに、ノーズのトランクリッドにキーシリンダーが装着されたことも見逃せない特徴でした。
ワインレッドのMk.Ⅲは68年式の個体で、デビュー50周年の記念イベントが行われた2016年のFOSで撮影。