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WRCマシンとして根強い人気を誇る「1980年代のクルマ5選」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、トヨタ自動車

WRCのために“三種の神器”揃えた新規モデルを開発したフォード

 フォードは小型乗用車のエスコートに、純レーシングユニットのコスワースBDAをチューンし直して搭載したRS2000でGr.4のホモロゲーションを取り、70年代後半のWRCで大活躍していました。

 Gr.Bのマシンにおいてもフォードは、ライバルが市販車をベースにGr.B車両を製作しているのに対して、独自のアプローチを見せています。それは全く新規に立ち上げたクルマでGr.B仕様のラリー車を製作しようというものでした。

“三種の神器”を搭載することはもちろんですが、F1のデザイナーとして知られるトニー・サウスゲートが開発を統括し、アルミハニカム・モノコックを採用。ミッドシップに搭載したエンジンはBDAをターボで武装。そのエンジンから切り離したミッションを、デフと一体化してフロントに搭載するなどライバルのパッケージとは一線を画していました。

 ただしこうした革新的なパッケージが災いしたか、ホモロゲーションに必要な200台の生産が間に合わずデビューが遅れてしまいます。さらにエボリューションモデルのホモロゲーションも叶わずロードモデルをベースにしたクルマで戦うことになるなど躓きの連続で、Gr.Bが終焉を迎える86年までそのポテンシャルを発揮することはできませんでした。

 赤いボディのベースモデルは15年の秋に高知県の四国自動車博物館で撮影。ワークスカラーに塗られた競技車両はフランスのミュルーズにある国立自動車博物館、通称“シュルンプ・コレクション”で撮影しました。

 

“三種の神器”をコンパクトなボディに詰め込んだプジョー

 504のような何の変哲もない4ドアセダンで参戦し、サファリラリーなどで活躍を見せていたプジョーが、本格的にWRC参戦を果たしたのは1981年にモータースポーツ専門のプジョー・スポールが設立されて以降のことでした。

 最初の主戦マシンとなったモデルがGr.Bのプジョー205T16でした。205を名乗り、エクステリアも205シリーズに似たイメージですが、中身は全くの別物で、後にル・マンで優勝するプジョー905も手掛けることになるアンドレ・デ・コルタンツが設計を担当していました。

 開発が始まった時にはアウディがAWDの威力を見せつけていましたから、当初からAWDを採用することは既定の路線となっていました。ただしフロントにエンジンを搭載していたアウディを分析し、よりコーナリング性能を高めるために、プジョーではターボで武装した直4エンジンをミッドシップに搭載するレイアウトを採用することになったようです。

 そしてミッドシップAWDの中では軽量・コンパクトというアドバンテージも持ち合わせていました。85~86年と連続してダブルタイトルを獲得。83年から86年までの4年間、Gr.BがWRCの主役を演じた時代において、最後にして最強のGr.B車両となりました。

 ガンメタリックのロードモデルはパリの近郊、ポワシーにあるアヴァンチュール・オートコレクションで、ワークスカラーの競技車両はフランス東部、ソショーにあるプジョー歴史博物館において、それぞれ撮影しています。

 

ターボパワーの後輪駆動でGr.Bに挑戦したトヨタ

 WRCが始まる前年の1972年にオベ・アンダーソンを起用してラリーに本格参戦を開始したトヨタは、74年にはGr.4仕様のレビン(TE27)を投入。さらに76年には2リッターエンジンを搭載するGr.4仕様のセリカ(RA20)がデビューしています。

 Gr.4ラストシーズンの82年はGr.4のセリカ(RA40)でシーズン序盤を戦い、第7戦のモトガード・ラリー(現ニュージーランド・ラリー)でGr.B仕様のセリカ(TA64)がデビューしています。このデビュー戦ではビヨン・ワルデガルドとパー・エクランドが1-2フィニッシュを飾り最高の滑り出しとなりました。

 

 搭載するエンジンはベースモデルの3T-GT型のボアを0.5㎜拡大した4T-GT型1.8リッター直4で、トヨタのラリーカーとしては初のターボ・エンジンでした。まだAWDの技術的なノウハウが蓄積されてなく、またミッドシップ(のスポーツカー)を200台生産するのも難しく、コンベンショナルなFRは、トヨタとして最も現実的な結論でした。

 しかしストレート的ラフロードにおける高速争いにおいてFRは本領を発揮し、得意としたサファリラリーでは84~86年に3年連続の総合優勝を飾っています。

 84年のサファリラリー優勝者は昨年のトヨタ・ガズー・レーシング・フェスティバルで撮影。テストとサファリでの実戦シーンなどはトヨタ自動車の広報部さんからお借りしました。興味深いのはFIAの検査に際して完成した車両がノーズを連ねたカットです。

 外国のメーカーの中には100台を表の駐車場に並べて検査官のチェックを受け、昼食を摂っている間に100台を裏庭に移して午後の検査。100台で200台分の生産を確認してもらった、というような眉唾な“伝説”も囁かれていました。それにしても、Gr.B車両がこれだけ並ぶと壮観です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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