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ポルシェ、フェラーリ、メルセデス、1950〜1960年代に活躍した速さと美しさを兼ね備えたレーシングマシン5選

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

美しいクルマは速い、は永遠の真理か

 モータースポーツの世界では昔から『美しいクルマは速い』、あるいは『速いクルマは美しい』というのが定説となっていました。前者で言うならサーキットでクルマを美しくワックスアップする余裕があるということは準備万端。セットアップも滞りなく進んでいるからこそできることで、速いのも当然、という訳です。いっぽう後者に関しては、速さを競っているレースの中で、その速さが抜きんでていればシーンの実績評価も加わり美しいに決まっている、とも解説されてきました。

 美しさや格好良さの判断基準は十人十色。確かに少し前のF1GPマシンのように車体のあちこちにガーニーフラップやウィングレットを装着したレーシングカーなんて、個人的には決して美しいとも格好いいとも思えないのですが、ファンの方にはそれを格好いいという意見があるのも事実のようです。

 ここでは1950年代から60年代にかけての美しいスポーツカー(とスポーツカールックなF1GPマシン)を5台、紹介することにしました。筆者と編集部の独断と偏見によるチョイスですが、それぞれのマシンの特徴をご紹介しましょう。

【メルセデス・ベンツW196】
ストリームラインとオープンホイールの2タイプで活躍

 最初に紹介するのは1954年と翌56年、2シーズンにわたってメルセデス・ベンツがF1世界選手権に投入したGPマシン、W196です。一見スポーツカーのように映っているのは“ストリームライン”と呼ばれる仕様で、当時の車両規定では、このようなフルカバード(4輪を覆う)タイプも認められていました。

 そして話は厄介なのですが、F1GPを戦ったW196Rとは別に、スポーツカーの世界選手権を戦うモデルで基本設計を同じくする者があり、こちらはW196Sと呼ばれていました。ちなみに末尾のRとSはそれぞれ、Rennwagen (レーシングカー)とSport(スポーツカー)を表していたようですが、スポーツカーの方は300SLRの呼び名が一般的になり、W196と言えばF1GPマシンを指すようになっています。

 直列4気筒のユニットを2基繋げ、その中間からパワーを取り出す変則的な直列8気筒エンジンは、2496ccの排気量で290馬力を絞り出していました。製作が遅れて54年シーズンの第4戦のフランスGPから出場を開始したW196は、このデビュー戦でファン・マニュエル・ファンジオとカール・クリングが1-2フィニッシュと見事なデビュー戦を飾ります。

 その後、エースのファンジオは第6戦のドイツGPから第8戦のイタリアGPまで3連勝。最終戦のスペインGPまでの6戦(シリーズは全9戦)で4勝を挙げ、見事チャンピオンを獲得。そして翌55年シーズンもファンジオは6戦で4勝を挙げてシリーズを2連覇。第6戦のイギリスGPではスターリング・モス、ファンジオ、クリングで1-2-3を独占しています。

【ジャガーDタイプ】
ル・マン24時間レースで1955年から3連覇

 当時からスポーツカーレースの檜舞台として注目を集めていたル・マン24時間レースにおいて、1951年に初優勝を飾ると、50年代に計5勝を挙げて王座に君臨したジャガー。その51年と53年のウィナーであるXK120C、通称“Cタイプ”の後継として54年に投入したモデルがDタイプです。

 風洞実験を繰り返して開発されたボディには、ショートノーズ・モデルと呼ばれる基本仕様に加えて、より高速コース用に空気抵抗を軽減したロングノーズ・モデルもあり、共にヘッド・フェアリンクから後方に伸びたフィン=垂直尾翼が大きな特徴となっていました。

 またロードゴーイングのXKSSも用意されていました。シャシーはセンター部分がアルミパネルで成形されたモノコック・フレームが採用されるなど、軽量化を追求。ダンロップ製のディスクブレーキが前後に装着され、初の4輪ディスクブレーキとなっていたことも見逃せません。

 エンジンは直列6気筒DOHCの3442ccで初期モデルの54年仕様で250馬力、55年仕様では270馬力に引き上げられていました。

 ル・マン24時間レースに初挑戦した54年には、ユーノディエールのストレートにおいて最高速度を記録。タフな展開となった決勝レースでは終盤の追い上げも実らず2位に終わってしまいました。それでもロングノーズ仕様を投入した翌55年の大会では見事優勝を飾るとともに、57年の大会まで3年連続優勝に輝き、黄金時代を築くことになりました。

 

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