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ポルシェ、フェラーリ、メルセデス、1950〜1960年代に活躍した速さと美しさを兼ね備えたレーシングマシン5選

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

【ポルシェ906】
日本グランプリで国産マシンのライバルとして登場

 1960年代の日本グランプリで活躍したポルシェと言えば、64年の第2回日本グランプリで日産スカイラインGTと対決したポルシェ・カレラGTS、通称“ポルシェ904”が有名ですが、その後継モデルとなったポルシェ906、通称“カレラ6”も見逃せない存在です。

 分類されるカテゴリーなど複雑なことはともかく、前者がロードゴーイングの発展として開発されたのに対して、後者は純粋なレーシングカーとして開発されただけあって、そのポテンシャルには大きな差がありました。

 メカニズム的には、当時のレーシングカーとしては一般的な鋼管で組んだスペースフレームを採用し、これに定評あった904のサスペンションを移植。エンジンは、グループ4の量販モデルが市販車の911用をチューニングした1991ccの水平対向6気筒ユニットを搭載。プロトタイプ=グループ6に編入されたワークスモデルでは2195ccの水平対向8気筒DOHCを搭載していました。

 ボディワークも空力を追求したものとなり、ロングノーズやロングテール仕様も投入されました。66年の国際マニュファクチャラーズ選手権/スポーツカー世界選手権に参戦し、ともに2リッタークラスでは大きなアドバンテージでシリーズ優勝を飾っています。

 日本グランプリに登場したのは、水平対向6気筒を搭載した量販モデルでした。66年の日本グランプリ当時で見れば、結果的にはプリンスのワークスチームのチーム力が勝利につながったようですが、クルマ自体のポテンシャルとしては906の方が、国産のプリンスR380より大きなアドバンテージがありました。

 

【フェラーリ250LM】
戦前からの名門を下してル・マン24時間レースで王者に

 戦前にアルファ・ロメオのワークスチームを運営していたスクーデリア・フェラーリが発展して誕生したスポーツカーメーカーのフェラーリは、現在のF1GPが始まった1950年から参戦を続ける老舗チームとしても知られています。フェラーリはスポーツカーレースに関しても世界選手権が始まった1953年に栄えある初代チャンピオンに輝くとともに、以後61年までの9年間で7度のチャンピオンに輝く絶対王者として君臨することになりました。

 ちなみに、スポーツカーレースの檜舞台とされていたル・マン24時間レースには戦後初めて再開された1949年の第17回大会に初参加。見事なデビューレースウィンを飾っています。この時のマシンは、新生フェラーリにとって初の市販モデルでもあった166MMでしたが、競争が激しくなるにしたがって車両レベルもますます上昇していきました。

 そして1960年からのル・マン24時間レースの連勝記録が続いていた63年に、フェラーリとして初のミッドシップ・レイアウトを採用した250Pが優勝し、技術的なレベルはさらに引き上げられることになりました。翌64年にはエンジン排気量を3.3リッターに拡大した275Pがル・マン24時間レースを制し、さらに65年にはクローズドクーペとなった発展モデルの250LMが、60年からのル・マン連勝記録を6連勝に伸ばしています。

 しかし翌66年にはフォードに王座を引き渡してしまいました。この250Pを始祖とする“Pシリーズ”は、71~73年シーズンを戦う312PBまで発展していき、72年には世界メーカー選手権を獲得しています。これがフェラーリにとっては(現在までのところ)スポーツカーレースにおける最後のワールドタイトルとなっています。

【フォードGT40】
数年間の死闘の後、フェラーリから王座を奪取

 60年代前半、モータースポーツ活動を一層強化しようとフェラーリとの提携、事実上は吸収合併を画策したフォードですが、契約調印直前に、エンツォ・フェラーリとヘンリー・フォード1世との対立から計画そのものが御破算。結果的にフォードは自前でレースマシンを開発し、当時のレース王座に君臨していたフェラーリへの挑戦となっていきました。年初に公開された映画でもこれが取り上げられていましたし、これまでに何度も紹介してきたものですが、歴史上最も美しいレーシングカー5選、のテーマを締めくくるにあたり、もう一度、フォードGT40を紹介することにしましょう。 世界を代表するビッグメーカーとなっていたフォードは、レーススペシャリストの子会社=フォード・アドバンスド・ビークル(FAD)を設立すると同時に、より専門的なレーシングカーコンストラクター、ローラ社と共同してフォードGT40を開発しています。

 1964年に初号機が完成、同年のシリーズ第3戦・ニュルブルクリンク1000kmでデビュー。デビュー当初は、速さの一端を見せつけるもなかなか結果には結び付きませんでした。が、車両の開発を進め、またチームの体制を強化していき、66年には念願だったル・マン24時間レースで初優勝を飾ることになりました。

 翌67年にはアルミハニカム・モノコックを採用したマークIVを投入して連勝。さらに68年と69年にはガルフカラーの同一車両が連勝を果たすなど、都合4連勝を飾っています。またロードモデルのマークIIIもラインナップされ、スポーツカーとしての評価にも高いものがありました。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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