平成はスポーツカーや高級セダンが百花繚乱
令和も2年に入ったが、中高年齢層のクルマ好きにとって、最も思い出深い時代といえば”平成元年から平成2年”だろう。西暦なら1989年から1990年であり、日産スカイラインGT-RやホンダNSX、マツダ・ユーノスロードスター、そしてトヨタ・エスティマなど、錚々たるクルマが登場した。そこで当時と現在で、売れ筋モデルの違いを比較してみよう。
平成2年(1990年)には、国内販売総数は778万台のピークを迎え、令和元年(2019年)の520万台に比べると1.5倍も売れていた(逆に令和元年は平成2年の68%)。そして平成2年(1990年)にはカローラシリーズが月に平均で25万台が登録、これは令和元年(2019年)でいえばN-BOXと同等であった。当時はマークIIも1か月平均で1万9000台、クラウンは1万7000台という具合で、セダンが売れ筋カテゴリーだった。
若年層の間ではシビックの人気が高く、月平均で1万2000台を登録。令和元年(2019年)に小型/普通車で最も多く売られたプリウスが1万500台だから、当時のシビックの売れ行きはこれを上まわっていたのだ。
あれから約30年を経過した令和元年(2019年)の登録台数を見ると、カローラシリーズは1か月平均で8700台だから、平成2年(1990年)の35%だ。クラウンは3000台で18%、シビックはタイプRまで含めて900台だから8%に過ぎない。
セダンに代わり軽自動車が台頭
その代わりに台頭したのが軽自動車だ。令和元年(2019年)の国内販売総数は、前述の通り平成2年(1990年)の68%と減少しているが、軽自動車は平成2年(1990年)に比べて106%と増加。従って小型/普通車に限ると、令和元年(2019年)の登録台数は平成2年(1990年)の55%。平成2年(1990年)の新車販売総数に占める軽自動車比率は23%だったが、令和元年(2019年)は37%に増加している。
つまり、現在は軽自動車が天下の時代。令和元年(2019年)の販売ランキングは、1位:N-BOX、2位:タント、3位:スペーシアであり、3車はすべて全高が1700mmを超えるスライドドアを備えた軽自動車だ。平成2年(1990年)の1位:カローラシリーズ、2位:マークII、3位:クラウンに比べると顔ぶれがまったく違うのである。
そして新型車のカテゴリーも大幅に変わった。平成元年(1989年)には、日産がZ32型フェアレディZ、R32型スカイラインGT-R、マツダ初代ユーノスロードスター、トヨタ初代セルシオ、スバル(当時は富士重工)初代レガシィなどが登場して話題になった。
平成2年(1990年)には、NSX、GTO、3ロータリーターボのユーノスコスモが登場し、最高出力280馬力のスポーツモデルが全盛だった時代。一方で、初代エスティマが新しい高級車(ミニバン)のあり方を提案したり、ガルウイングドアを備えるトヨタ・セラも登場した。クルマの好きな人でなくても、多種多様な新型車の登場に目を奪われた時代だったのである。
平成2年(1990年)になると、すでに日本車メーカーは海外に生産拠点を構えて世界中でクルマを販売していたが、その比率は約50%。国内と海外の販売比率は半々であった。そのためにデザインやボディサイズは日本ユーザーの共感を得られるもので、走行安定性や動力性能は、海外事情に合わせて進化させていた。商品開発における国内/海外重視のバランスがちょうど良く、初代プリメーラのような傑作も生まれたのだ。
日本市場を衰退させた海外向け国産車の開発
ところがこの後、国内で売られるセダンやクーペは海外指向を強めていく。平成元年(1989年)の消費税導入に伴って自動車税制が改定され、3ナンバー車の不利が撤廃されたのを受けて、海外向けの3ナンバー車を国内市場へ流用するようになったからだ。これは単に日本車が大きくなったという話ではない。日本車が日本人の心を離れたことで、売れ行きが下がった。それなのにメーカーは、日本が売れない市場になったと判断して、商品開発をさらに海外向けすることになる。
平成5年(1993年)に65%だった5ナンバー車の国内比率は、平成30年(2018年)になると30%以下に縮小。小型/普通車の商品開発が海外指向を強め、ますます売れ行きが下がる悪循環に陥り、唯一日本のユーザーを見据えて開発される軽自動車だけが販売台数を伸ばした。