【Lancia Stratos】
FFの2ドアからミッドシップカーへの大変身
まだラリーの世界選手権(WRC)が制定される前の60年代から、ランチアはラリーで活躍していました。当時の主戦マシンはフルビア・クーペ。
新世代3姉妹の末っ子として1963年に登場した4ドアセダンのフルビアをベースにランチア・オリジナルの2ドアクーペを架装したもので、当初は1.2リッターエンジンを搭載してましたが、後には1.3リッター、1.6リッターと排気量を拡大。68年には最終進化形ともいうべき1.6HFが登場しています。
グループ4として公認された1.6HFは、WRCの前身として70年から始まったインターナショナル・ラリー・メーカー選手権にフル参戦。常に上位を争い、72年には見事タイトルを獲得しています。
ただし、この頃になるとライバルの競争力も高まってきて苦戦を強いられるようになったために、次期戦闘機を投入することになりました。それがストラトスです。
フルビアでは1.6リッターのFFでしたが、ストラトスはフェラーリ・ディノの2.4リッターV6エンジンを車体中央に搭載するMR(ミッドシップの後輪駆動)へと転換。そしてそれ以上にスタイルの面でも、まるで複葉プロペラ機からジェット戦闘機にコンバートしたほどの大変身となりました。
ホモロゲーション獲得に時間がかかり、引継ぎに少し手間取った感もあったストラトスでしたが、74年からはいよいよ本領を発揮。アルピーヌからタイトルを奪い返すと76年までWRCを3連覇しています。クラシカルなフルビア・クーペと、スーパーカー然としたストラトス。趣向は全く違うけれど、美しさ、格好良さでは何れも甲乙つけ難いと、思うのですが、如何でしょう?
【Porsche 911】
頑ななまでにリアエンジンを貫いた孤高のスポーツカー
100年を超える自動車史の中でも傑出したエンジニアとして知られるフェルディナント・ポルシェ博士は、フォルクスワーゲンのタイプ1、いわゆる“ビートル”の生みの親。その息子であるフェリー・ポルシェはタイプ1をベースにスポーツカーのポルシェ356を誕生させます。さらにその息子、ポルシェ博士にとっては孫になるフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェは356を発展させた911を生み出しています。
3代に渡って生み出されてきたそのいずれもが、リアにエンジンをマウントする基本レイアウトを踏襲しています。スポーツカーとしては、今でも孤高のパッケージを貫いているのです。
そのルックスは、もはやスポーツカーのアイコンにまでなっています。そんなポルシェはレースだけでなくラリーでも活躍しています。レースにも通じる、舗装路が舞台のターマック・ラリーはもちろん、氷雪のモンテカルロでも、灼熱のサファリでも上位に名を連ねてきました。
さらには、AWD(四輪駆動)を手に入れた959はパリ~ダカールのようなラリーレイドでも活躍しています。どんな背景にも映える1台です。
【Ford Escort MarkⅡ RS 2000】
何の変哲もないセダンが速いからカッコイイ!
イギリス・フォードが開発した小型の大衆車がエスコート。一見すると何の変哲もないセダン……だから2ドアクーペというよりも2ドアセダンと呼ぶ方がしっくりするのですが、これが意外なくらいに速い。
ツーリングカーレースでも活躍していましたが、特にラリーでの速さと強さは印象的でした。1960年代の終わりから70年代前半に活躍した初代モデル=マーク1にはホットモデルとして、当時のF2にも使用されたコスワースBDAエンジンを搭載したRS1600があり、70年代後半から80年代に活躍した2代目モデル=マーク2にはやはり新しいF2用として2リッターまでスケールアップされたコスワースBDAエンジンをを搭載したRS2000がラインナップされていました。
ラリーでは、この両車が使用されたのですが、初代フライングフィンとして知られるティモ・マキネンやハンヌ・ミッコラといった名手のドライブでいくつもの優勝を奪っています。フィアットやランチアでエースとして活躍したマルク・アレンも、それ以前にエスコートでも優勝を記録しています。
いずれにしても、何の変哲もないセダンが速いということは“羊の皮をかぶった狼”的な格好良さが感じられます。