ボディサイズ14%増し、排気量はなんと8割増
国民の誰もが手にできる車両、という思惑で通産省(現経産省)が提唱した「国民車構想」だった。しかし、これとは別により現実的な枠組で考え出されたのが日本独自の車両規格、「軽自動車」だ。発端は1949年まで遡るが、その後車両規格は毎年流動的に変化し、1954年にエンジンは4サイクルと2サイクルとも排気量は360ccまで、車体サイズは全長3000ミリ、全幅1300ミリ、全高2000ミリまでという枠組が決定。以来、現在までの66年間で3度も規格変更を行ない、ボディサイズおよび搭載エンジンの排気量は拡大していく。なぜ、そのような変遷が必要だったのか振り返ってみよう。
1954年に施行された規格下でスズキ・スズライトやスバル360が登場。傑作車として日本の自動車史上に残るスバル360などは、開発目標のひとつに乗員4人が快適に移動できる性能を掲げ、見事これに応えたモデルとして市場の評価が高かった。しかし、現代の価値基準で眺めてしまうと、ずいぶんと非力で狭苦しいクルマだったという印象がつきまとってしまう。
排ガス規制でパワーを保つために550cc化
実際のところ、360ccの排気量で軽自動車の車体を動かすことに無理が生じるようになったのも事実。1976年にエンジン排気量を550ccまでアップし、全長3200ミリ、全幅1400ミリ、全高2000ミリまでに車体サイズを拡大する規定変更が行なわれた。
安全ボディに対応するために660ccへ拡大
次に軽自動車の枠組が改定されるのは1990年のこと。安全性向上のため車重が重くなったことからエンジン排気量枠を660ccに引き上げ、車体の全長も100ミリ延長して3300ミリという規定とした。バブル期ということもあり、ホンダのビートやスズキのカプチーノといった趣味性の高いクルマなども続々とリリースされた、いわゆる軽自動車の黄金期形成に貢献する変更だった。