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昭和の魔改造マシン「シルエットフォーミュラ」 日産ターボ3兄弟を取り巻く縁者とライバル車たち

トヨタ、マツダなどのライバル迎撃へ

 ポルシェがリリースした935の独走を阻むべく、BMWが立ちはだかり、さらにランチアやフォードといった個性的なライバルも登場。1970年代後半に人気を博していたグループ5(Gr.5)マシンのレース、いわゆる「シルエットフォーミュラ」は、ここ日本にもやって来ました。

 舞台となったのは富士スピードウェイの人気シリーズとなっていた「グランチャンピオン(GC)」シリーズの、サポートレースとして行われていた『富士スーパーシルエット(SS)』でした。

 79年、シリーズ当初はツーリングカー(Gr.2)の「サバンナRX-3」とGTカー(Gr.4)の「ダットサン240Z」が主役。その後、トムスがドイツから輸入したシュニッツァー製の「セリカ・リフトバック」が“黒船”として参戦。カルチャーショックが起きたのです。

 レースの画像(FSW提供)は、まさに79年シーズンの参加者が勢ぞろい。トムスのシュニッツァー・セリカを先頭にサバンナRX-7 252i、同RX-3、バイオレット・ターボ(A10)、サバンナRX-7、同RX-3 251と続いています。

 そんなスーパーシルエットシリーズは80年代に入り人気急騰。82年に日産のターボ3兄弟が出揃うと最高潮となってゆくのです。 

 

バイオレットからブルーバード・ターボへ

 国内でSSレースが始まった79年から、2シーズンにわたって参戦した、いわばターボ3兄弟のご先祖様といえば「バイオレット・ターボ」。日産のスーパーシルエット・プロジェクトは、ターボ車のテストベースとなっていたバイオレットを投入し、710系からA10系へと進化していくことになります。 初代モデルの710系から79年9月には2代目モデルのA10系にベースを変更。2レース目で初優勝を飾ると80年には5戦4勝(ポールポジション3度)と、ライバルを圧倒する速さと強さを見せつけました。

 これをドライブしたのが、柳田春人選手。以後、81年には「ガゼール」、82年からはターボ3兄弟の「ブルーバード・ターボ」にマシンを乗り換えていきます。

 ブルーバードでのタイトルスポンサーは、82年の『Z Sport』、83年は『オートバックス』、そして最後は『コカ・コーラ』とカラーリングもバラエティに富んだもの。 ちなみに、ベースモデルとなったのは6代目=910系の2ドアハードトップ。スカイラインやシルビアが、ベースモデルでもスポーティなイメージとしているのに対し、ブルーバードは2ドアハードトップとはいえボクシーで従順しい雰囲気が漂っていました。

 しかし「ムーンクラフト」のエアロパーツ(カウルワーク)を身に纏うとイメージが一新。スポンサーカラーも相まってレーシングカーらしいルックスに変身を遂げ、全18戦中14戦で表彰台を獲得(優勝4回)し、安定した強さを見せつけたのです。

インパルのシルビア・ターボもルックス進化

 81年3月に行われた富士GCシリーズ開幕戦「富士300kmスピードレース」のサポートイベントであるスーパーシルエット(SS)レースには、「シルビア」と「ガゼール」(ともにKS110系の兄弟車)のシルエットフォーミュラがレースデビュー。

 星野一義選手がドライブしたシルビアは、黄色い稲妻カラーですが、81年モデルと82年モデルは全くの別物。ムーンクラフト製のカウルを剥がしてみると、中からはベースモデルのモノコックが出てくるのです。

 競争力はなかなかのものでデビューレースの開幕戦では星野選手のシルビアが優勝し、第2戦では柳田春人選手がドライブしたガゼールが優勝。82年シーズンの星野選手のホシノインパルニチラ・シルビアは、現在まで続くホシノ・レーシングとカルソニック(現マレリ)の蜜月の始まり。翌年の83年にはベースモデルの進化に合わせて4代目となるS12系のアウターパネルに着せ替えてリフレッシュしたのです。

 

大本命のスカイライン・トミカ仕様

 そして“真打”とも言うべき3兄弟、スカイライン、シルビア、ブルーバードが82年に登場。中でも多くのファンの熱い視線を集めたのが、スカイラインをベースにした「トミカ・スカイラインターボ」だったのです。

 ノバ・エンジニアリングの森脇基恭氏が設計したシャシーにLZ20Bターボを搭載。ムーンクラフトの由良拓也氏がデザインしたボディカウルを纏う、という基本パッケージは共通していましたが、カウルワーク=ベースモデルとドライバーのキャラクターがレーシングカーのキャラクターになっていきました。

 デビュー当時に搭載したLZ20Bターボは、排気量1992㏄でフロントのストラット頭部がボンネット上に突出。エンジン排気量を2139ccに拡大した83年モデルではボンネットがフラットに成形され、グリルも3線タイプから“鉄仮面”へと変更されたのです。

 戦績についても84年までの3シーズンで19戦9勝と、5割に近い勝率。富士のデビュー戦となった82年8月の富士チャンピオンズレースでは長谷見昌弘選手も「最終コーナーを立ち上がってきた時にはスタンドのファンが一斉に立ち上がって大声援を送ってくれたのが運転していても分かった」ほどの人気ぶりだったのです。

 そして声援に応えるように予選3番手から見事な逆転優勝。記録にも記憶にも残る活躍ぶりを見せました。

ポテンシャルを秘めたマーチ・スーパーシルエット

 ターボ3兄弟がレースデビューした82年にもう1台、歳の離れた末弟が誕生しています。それがコンパクトカーのマーチ…初代のK10系をベースにしたマーチ・スーパーシルエットです。

 兄貴分の3兄弟が、パイプフレームにアウターパネルを被せているのとは違い、こちらはベースモデルにFRP製のエアロキットを組みつけたもの。ただしエンジンには“それなり”のチューニングが施されていて、直4OHCのE15型エンジンは、1487㏄の排気量はそのままに吸排気系に手を加え160馬力の最高出力を発生していました。

 ド迫力ボディでレースファンを虜にしたスーパーシルエットレース。火を吹きながら走る勇姿は、いまみてもカッコいいものですね。

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