時代を重ねても古臭さを感じない魔力
クルマの魅力はデザイン(スタイリング)にありと考えるクルマ好きは少なくない。痘痕(あばた)もエクボといっては言いすぎかもしれないが、スタイリングに惚れ込んで、それ以外のことは考えずに愛車を選んでしまうこともあるだろう。その意味では商品力に大きく影響する部分であり、だからこそ有名デザイナーはその価値を周囲から認められ、変わりの効かない存在としてリスペクトされている。
その代表格が、「バッティスタ・ピニンファリーナ(以下ピニンファリーナ)」や「ジョルジェット・ジウジアーロ(以下ジウジアーロ)」だろう。恐らく名前を耳にしたことがないクルマ好きはいないはず。海外の巨匠たちは、国産車のデザインも多く手掛けているわけで、ここでは歴代の日産車から有名デザイナーの作品として3つのモデルをピックアップして紹介しよう。
2代目ブルーバード(1963年 ピニンファリーナ)
まず、「ピニファリーナ」の作品として有名なのが2代目の「ブルーバード(410型)」。日産初のフルモノコックボディは、イタリアの名デザイナーの手によるものだった。全幅1.5mとコンパクトなボディだが、抑揚の効いたサイド面や、摘み上げられたようなフロントフェンダー上部のキャラクターは、世界に通用するディテールといったところ。 もっとも、そのスタイリングがアバンギャルド過ぎたのか国内では不評で、後期型ではガラリと変えられてしまったというのは、なんとも微妙な結末であった。
初代マーチ(1982年 G・ジウジアーロ)
有名デザイナーといえばスーパーカーで名を馳せるというイメージもあるが、同じくイタリアの巨匠「ジウジアーロ」は大衆車を得意としていた。代表作としてはフィアット・パンダ(初代)が挙げられるが、日産の大衆車である「マーチ(初代・K10型)」の基本デザインもジウジアーロ氏の手によるモデルである。
そういう情報を知って、パンダとマーチを並べて見ると、シンプルな中にデザイナーのセンスを織り込んだスタイリングには共通性を感じる。テールレンズの適度な存在感が道具感を醸し出していると感じるのは考えすぎだろうか。
初代プレセア(1990年 和田 智)
さて、有名デザイナーといえば独立したデザイン事務所を構えているものだが、著名デザイナーの中には自動車メーカーの社員としてキャリアをスタートさせた人が数多い。アウディのデザイナーとして活躍、現在はSWデザインの代表を務める「和田 智」さんはもともと日産のデザイナーだった。
在籍時の代表作として知られるのは「セフィーロ(初代)」と「プレセア(初代)」だ。
とくに後者はグリルレスのフロントマスクが印象的な、デザインコンシャスな大衆車として登場。スタイリングのモチーフは「川の流れによって削られた自然の石の丸み」と非常に深いものだった。ちなみに、セフィーロでは”イルカ”のような面を意識したという。まさに自然美を目指したのが、この頃の和田デザインだったのだ。
当時を思い出すとプレセア、セフィーロともに女性に人気だった。どちらも後継モデルではガラリとデザインテイストを変えてしまったが、だからこそ記憶に残るモデルとなっているのも事実である。