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創業時に製造してた意外なモノ、自動車メーカーのルーツを知る【マツダ・ホンダ編】

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: マツダ、Auto Messe Web編集部

マツダはコルク、ホンダはエンジンの製造から

 今年1月に、創業100周年を迎えた「マツダ」。そのルーツを辿ると自動車とは縁遠い企業であった。しかし、創業者の機械への強い思いが、やがてロータリーエンジンの量産化を実現させる自動車メーカーへの礎となる。また、本田宗一郎のエンジンに対する思いと物づくりへのこだわりは、企業経営においても一つの理想像を築きあげた。戦後の移動手段の主であった自転車にエンジンを取り付けるところから事業がはじまる。

【マツダ】

 日本の自動車メーカーは意外にも異業種での創業が多い。そのひとつが「マツダ」だ。創業は、1920(大正9)年に設立された「東洋コルク工業」。ワインボトルの栓として使われるコルクを製造していた。コルクは、合成ゴムが普及するまで、弾力があって水をほとんど通さず、それでいて通気性のある優れた素材であった。この創業から今年で100年になるわけだ。

 現在もマツダ本社がある広島市向洋(むかいだな)出身の松田重次郎が、創業の翌年に社長として就任。重次郎は小さいころから技術や機械への好奇心が強く、東洋コルク工業の社長に就任する前は、大阪に出て鍛冶屋の修行をしたのち、松田製作所を立ち上げてポンプの製造を行なっていた。

 また鉄工所の経営も行ない、広島へ戻ったのちに東洋コルク工業の社長となるのである。じつは、後にロータリーエンジンのハウジングを製造する際、機械造りを得意とするマツダは、自社製の特殊な旋盤を完成させたことで量産化を成功させたといっても過言ではない。

 そして1927(昭和2)年に、社名を「東洋工業」へ変更し、4年後に初の3輪トラックの製造をスタート。この3輪トラック製造が、永くマツダの礎を支えることになり、1960(昭和35)年には軽乗用車の「R360クーペ」を開発。1967(昭和42)年には、ロータリーエンジンを搭載する「コスモスポーツ」を発売し、マツダが世界でも稀な自動車メーカーとして存在を示していくことになる。

 

【ホンダ】

 多くの人がその歴史の一旦に触れたことがあるのではないかと思われるのは、「ホンダ(本田技研工業)」であろう。1948(昭和23)年に静岡県浜松市で、本田宗一郎は自転車用補助エンジンの製造から創業した。

 スズキの2代目社長である鈴木俊三がエンジン付き自転車を着想し、1952(昭和27)年に売り出したのと同じ発想だ。第二次世界大戦後、日本経済が急成長を遂げようとしていたころ移動の主役は自転車であり、これを動力化することで、人や荷物をよりラクに運べるよう考えたのだ。 2輪から始まったホンダの歴史は、1953(昭和26)年に汎用事業、1963(昭和38)年に軽トラックの「T360」で4輪事業へと進出。この間の1959(昭和34)年には英国のマン島TTレースに参戦し、1961(昭和36)年に優勝。1962(昭和37)年には、三重県に鈴鹿サーキットを完成させた。

 創業者の本田宗一郎は、静岡県磐田郡光明村(現在の天竜市)で1906(明治39)年に誕生。江戸時代でいえば、ここも遠江の国である。豊田佐吉や鈴木道夫のほかにも、この地域からはヤマハ(創業者の山葉寅楠は和歌山の生まれだが浜松で創業)、河合楽器製作所(創業者の河合小市は浜松の生まれ)、ブラウン管に「イ」の文字を映し出させ全電子式テレビを完成させた高柳健次郎(浜松市生まれ)など、名士が生まれている。

 背景に、地域特有の「やらまいか(やってやろうじゃないか)」気質があると伝えられる。

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