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「美しすぎる国産クーペ」 時代を経ても廃れないクルマの美学を振り返る

昭和にあった美麗なるデザイン

 トヨタ・クラウンの初代モデルが登場したのは1955年のことでしたが、国内でモータリゼーションが大きく発展し始めたのは1960年代。初代クラウンと同い年の少年であった筆者は、友人たちに人気の漫画よりも、兄が購読していた自動車雑誌を愛読する、クルマ大好き小学生になっていました。

 いわゆる”スーパーカー世代”と言われる少年たちのはるか20年近くも前かもしれませんが、まず興味を持ったのは流麗なボディを纏った国産の美しいクーペたち。半世紀以上も昔のことで、工業製品であるクルマが旧態化するのは仕方ないのですが、それでも当時の美しいクーペたちは、今見てもなお美しいと感心するばかりです。

 

ミケロッティが初めて手掛けた国産クーペ

【プリンス・スカイライン スポーツクーペ】

 1960年の11月、国産車として初めてトリノ・ショーに出展されデビューを果たしたモデルがプリンスの「スカイライン・スポーツ」。カーデザイナーの偉人、イタリアの「G・ミケロッティ」が手掛けたのは、初代グロリアのシャシーに、2ドアクーペとコンバーティブルの2種類のボディを身に纏わせたスカイライン、まさに美しさの賜物です。 センターラインに向けて下降する傾斜を持った4灯式のヘッドライトや、ドアの後方でキックアップするショルダーラインなどが大きな特徴。エンジンは、グロリアと同じプッシュロッドの1.9リッター直4を搭載。初代のグロリアは、スカイラインの1.5リッター直4エンジンを1.9リッター直4エンジンに乗せ換えてデビューした経緯をもっており、スカイラインとは兄弟の関係にありました。 翌61年10月の東京モーターショーに出展された後、1962年4月より販売開始。エンジン出力は94馬力で最高速150km/hというパフォーマンスは、現在からすれば物足りないが、そのデザインは今なお新鮮に映ります。

 残念ながら少年時代より路上で遭遇したことはなく、写真の2台ともに座間にある日産ヘリテージ・コレクションで撮影したものです。

 

フェアレディのクーペバージョンとして誕生

【ニッサン・シルビア】

 1952年にデビューしたダットサン・スポーツDC-3を祖とするダットサン・フェアレディは国産初の本格スポーツ。69年にフェアレディZに移行するまではすべてがロードスター(オープンカー)でした。

 そんなフェアレディの2代目(DC-3も含めれば3代目)となるフェアレディ1500(SP310)のシャシーにプッシュロッドの1.6リッター直4エンジンを搭載。セミ・ハンドメイドの2ドア・クーペボディを架装したモデルが初代の「シルビア(CSP311)」だったのです。 CSP311のタイプネームが示すようにフェアレディ1600(SP311)のクーペ仕様。ただし、発売はシルビアが65年4月で、5月に発売(1500のMC版)されたフェアレディ1600より一足早くデビューしていました。フェアレディがスパルタンな2座オープンだったのに対し、シルビアはゴージャスなグランド・ツアラーといった位置づけだったのです。 ヒストリックカーとして再度注目をされるようになってから、何度か路上や博物館でで遭遇したこともありましたが、こちらも写真は座間にある日産ヘリテージ・コレクションで撮影したもの。

 

セダン、クーペともにミケロッティデザイン

【ヒノ・コンテッサ1300クーペ】

 現在は大型トラックなどの専業メーカーとなっている日野自動車ですが、戦後しばらくは乗用車も生産していました。フランスのルノーからのライセンス生産で乗用車市場に進出、独自開発したコンテッサ900に次いでより上級モデルとなる「コンテッサ1300」をリリースしています。

 まずは64年9月に4ドアセダンがデビューし、翌65年の4月に2ドア・クーペが登場。端正な4ドア・セダンと流麗な2ドア・クーペはともにミケロッティにデザインを委託したもの。いまでも充分にモダンな雰囲気が醸し出されています。 パッケージングではライセンス生産だったルノー4CVから踏襲されてきたリア・エンジンが最大の特徴。プッシュロッドの1.3リッター直4エンジンが採用されました。当時、クラウン8用のV8エンジンに換装したデル・コンテッサが雑誌で紹介され驚いたことを思い出します。

 こちらも路上で遭ったことはなく、写真は18年のオートモビル・カウンシルで撮影。

巨匠ジウジアーロがデザインした4座クーペ

【いすゞ117クーペ】

 日野自動車と同様に、現在では大型トラックなどの専業メーカーとなっている”いすゞ自動車”ですが、かつてはトヨタや日産とともに自動車メーカー御三家と呼ばれたほど、由緒あるメーカーでした。

 そんないすゞが生産していた乗用車で、シルエットが美しいクーペといえば1968年にデビューした2ドア4座の「117クーペ」でしょう。 その前年に登場した4ドアセダンのフローリアンが、デビュー前には117サルーンと呼ばれていたことからも分かるように、117クーペはフローリアンのクーペモデルという位置づけ。シャシーも共用となっています。

 エンジンは、いすゞとして初となるツインカムの1.6リッター直4を搭載。後には1.8リッターや2リッター仕様も登場し、また70年にはボッシュ製のDジェトロニックを使用した国内初の電子制御燃料噴射システムを搭載するなど、メカニカルな面でも多くのトピックがありました。 筆者にとってはクルマ好きの弟が若い頃に所有していて、今回紹介する中では最も身近にあった1台。明るいベージュの初期モデルはトヨタ博物館で撮影。ガンメタリックの中期モデルと、角形4灯にが最大の特徴となったマルーンの後期モデルは石川県小松市にある日本自動車博物館で撮影したもの。

 

RE+FFと新機軸を盛り込んだハードトップ

【マツダ・ルーチェ ロータリークーペ】

 世界で唯一、ロータリー・エンジン(RE)搭載モデルを量販したマツダですが、まだ前身の東洋工業だった1969年にリリースした美しいクーペモデル、それが「ルーチェ・ロータリークーペ」です。

 名前やデザインから当時のマツダのフラッグシップ、ルーチェのクーペモデルであることは容易に想像できますが、シャシーは全くの別物。ホイールベースも4ドアセダンに比べて80mmも長くなっています。

 言うまでもなくREを搭載した前輪駆動というパッケージも革新的。ちなみにセンターピラーを廃したハードトップとしてはコロナ(RT50系)に次いで国産では2番目でした。 搭載されたREは新開発の2ローター(13A型)。ボディ・デザインは、ベルトーネのチーフスタイリストだったジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた4ドアセダンをベースに、マツダの車内でクーペへのコンバートが行なわれたようです。

 こちらも路上で遭遇する機会はなく、ショーや博物館で出逢ったのみ。ベージュの個体はマツダ・ミュージアムで、黒のレザートップ仕様はマツダ・クラシックカー博物館フライで撮影。テストコース脇でのカットは67年の東京モーターショーでの参考出展車両でマツダ広報提供。

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