金がなかった故の苦心メニューも多数
クルマのチューニングが今のように一般的じゃなく、アウトローな雰囲気すら漂っていた1990年代。当時の走り屋には『お約束』だったカスタムやグッズを、昔を懐かしみつつ紹介したい。流行は繰り返すというけれど、コレらも再び日の目を見る未来がやって来るかもしれない。
1990年代の走り屋カルチャーを体験した人で、大多数が思い出すであろう「パーソナル無線」。本来は車内に無線機の本体を取り付けて、仲間どうしの連絡などに使うものだけど、ルーフにアンテナだけを載せたクルマが大量にいた。
数十円でできたオーバーヒート対策
外装でいえばボンネットの後端を少し浮かすスタイルも定番。ボンネットを固定するボルトにワッシャーを何枚か挟む方法で、エンジンルームの熱を逃すというもっともな理由が付けられたものの、筆者を含め「何となくカッコいい」とマネしていた人も多いに違いない。
ただしワッシャーの枚数が増えるほど、ボンネットを固定するボルトの噛み込みは浅くなる。事故でボンネットが外れ、ガラスを突き破って大ケガしたなんてウワサ話もささやかれ、浮かせるときは長めのボルトを使うのがセオリーだった。
お金をかけずに”GTカー風”を気取る
レーシングカーを真似てワイパーを片側だけにする、通称『ワンアームワイパー』も一世を風靡した。限界までに空気抵抗の軽減や軽量化を目指すレーシングカーならではのカスタムで、シビックやスターレットといったライトウェイトでは特に流行ったと記憶している。
内装のアイキャッチにもなった100円チューン
室内ではステアリングのセンター部分、つまり12時の部分に黄色のテープを巻くのもお約束だった。ハンドルの舵角を視覚的に把握するのが目的であり、黄色なのはステアリングの大半が黒のレザー、つまり慌ただしい操作中でも目に付きやすいためだろう。
ステッカーで誇示したチーム愛
最後はリアウインドウに大量に貼ったステッカー。流行したのはドリフトが大ブームになってからで、パーツメーカーやチューニングショップというよりも、自分の所属チームや交流があるチームのオリジナルがメインだった。さらにステッカーのみならず、トレーナーやTシャツを製作するという熱心なチームも存在したのである。
*写真はイメージ
愛車に乗っている年数が長くなればなるほどステッカーの数は増え、「コレって後ろが見えないよね」なんてクルマに遭遇したことも懐かしい話。周りから見れば単なるステッカーチューンだったが、彼らにとっては勲章だったのも事実だ。
ファッションと同じで流行は繰り返す……のだろうか?