モータリゼーションを支えた日本独自の規格車
流麗な2ドアクーペ、ダイナミックなスポーツカー、そして本格的な乗用車として普及した“大衆車”と呼ばれた小型乗用車もありました。60年代の名車たちのなかでも、日本のモータリゼーションを支えて世界に躍進してゆく日本の自動車産業の礎を作っていった「軽自動車」について紹介しましょう。
360ccから本格的発展した歴史
軽自動車は、ボディサイズやエンジン排気量などの厳しい制限である軽自動車規格に則っていれば、税制や車検制度などで優遇を受けられる日本固有のカテゴリーです。
軽自動車の規格が誕生したのは1949年のこと。当初は、自動車運転免許にも”軽自動車免許”が用意されるなど大きな話題となったようです。その後、規格は実情に合わせて何度も変更されましたが、54年の9月に”全長×全幅×全高=3000mm×1300mm×2000mm以下”で、”エンジン排気量360㏄以下”とされました。
この規格は76年にボディサイズ/エンジン排気量ともに拡大されるまで継続。多くの人々が、軽自動車=全長3mで排気量360㏄という“共通認識”を持つことになりました。60年代はまさに同規格時代のど真ん中。先駆けとなった「スバル360」から“黒船”として登場した「ホンダN360」まで、数多くの名車が誕生することになったのです。
【スバル360】
“てんとう虫”の愛称でロングセラーに
旧中島飛行機の流れをくむ富士重工業(現・スバルの前身)が1958年に発売した「スバル360」。54年に改正導入された『全長3m以下/エンジン排気量360cc以下』という新たな軽自動車規格の先駆けとなるモデルでした。
搭載エンジンは空冷の2ストローク2気筒の360ccで、最高出力は16馬力。現代の感覚で言うなら笑ってしまうようなスペックですが、航空機では当たり前となっていたモノコックフレームを採用し、ボディ重量はわずかに385kgと驚くべき軽さに仕上がっていたことから、大人4人のドライブも無理なくこなせたようです。
モノコックフレームの後端にエンジンを搭載するパッケージング(RR)であるため、フロント部分の造形は自由度が高く、ノーズを低くして空気抵抗を低減。ボディシルエットは流麗にしてシンプルで、フォルクス・ワーゲンのタイプ1(ビートル)に似ていたので、カブト虫ならぬ”てんとう虫”の愛称で呼ばれるようになりました。
そして、ビートルと同様に基本設計が高いレベルで行なわれていた証ですが、同じく基本設計を変えることなく、細かな改良を何度も繰り返して生産継続。58年の発売開始から70年までという13年間の長きにわたってロングライフを全うすることになったのです。
【マツダ R360クーペ/キャロル】
2+2クーペから”軽初の4ドア”も誕生
3輪トラックのK360で1959年に軽自動車市場に参入した東洋工業(現・マツダ)は、その1年後には軽乗用車、2+2の「R360クーペ」をリリース。エンジンはK360のBA型・空冷4ストロークOHVのV型2気筒のチューニングをより高めた(11馬力→18馬力)BC型を採用しました。
K360はキャビンと荷台の間にエンジンを搭載し後輪を駆動するミッドシップ・レイアウトでしたが、R360クーペではスペース効率を高めるためにリアエンジンとされていました。
軽量化を追求し、ボディ重量は僅か380kg。30万円という価格は軽自動車として最も安い設定でした。しかし、2+2という後部座席が小さい仕様でもあったため苦戦を強いられ、2年後に登場したキャロル360に主戦の座を譲ってしまったのです。
キャロル360は、R360クーペと比べるまでもなく、ずいぶん立派な乗用車に仕上げられていました。R360クーペに対してホイールベースを170mm伸ばした結果、大人4人が大きな不満もなくドライブ可能に。エンジンも、OHV360ccながら新設計された水冷直4ユニットが横置きに搭載されたのです。
当初は2ドアセダンのみだったが、66年には軽初となる4ドアセダンもラインナップに追加されました。