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国産スポーツカーの幕開け、1960年代に生まれた日本の名モデル5台を振り返る

クルマ好きなら誰もが憧れた古き良き日本の宝

 1960年代の国産車には、その美しさが今なお新鮮な2ドアクーペがたくさん出現しましたが、ルックスで負けず劣らず、パフォーマンスもさらに素晴らしかったスポーツカーも続々と登場しました。

 60年の9月に小型自動車の規格が一部変更され、エンジンの排気量は1.5リッター以下から2リッター以下へと引き上げ。これを超えると普通自動車、いわゆる3ナンバーとなり、5ナンバーに比べて当時は自動車税が高額に設定されていたのです。

 必然的にスポーツカーも、基本的には2リッター以下のエンジンを搭載。最高出力もフェアレディZのホットモデル、Z432でさえも160馬力に留まっていましたが、コンパクトで軽量なサイズや車重と相待ってパフォーマンスは充分以上なものがあったのです。

 

【ダットサン・フェアレディ/ニッサン・フェアレディZ】

スパルタンなオープンから2座クーペに移行

 戦後の復興が進む中、1952年に登場したダットサン・スポーツDC-3を源流とする「フェアレディ」は、間違いなく国産初のスポーツカーといえる存在。ただし当初は4座のコンバーチブルだったため、スポーツカーとするかは判断が分かれるところです。

 そんなフェアレディが、本格的なスポーツカーを謳うようになったのは62年に登場した「フェアレディ1500(SP310)」から。スポーツ性能を争うレース、63年の第1回日本グランプリでもMG-BやトライアンフTR4など、英国製スポーツカーを下して優勝を飾り、評価が高まっていったのです。 そんなSP310は運転席の後方に、横向きのサードシートを備えていましたが、65年に登場した”1600(SP311)”では2シーター化。 さらに67年に登場した第3世代最終モデルの”2000(SR311)”では直4エンジンが2リッターOHCに進化し、145馬力の最高出力は910kgのボディには充分以上のパフォーマンスを発揮。最高速度も205km/hと国産車で初めて時速200キロの壁を越え、0-400m加速も15.4秒を達成するなど、世界に誇れるスポーツカーに昇華しました。

 さらにスパルタンなフェアレディは、69年にはコンセプトを一新。リアにハッチゲートを持った2座クーペの”Z”に移行し、現在に続くモダンなスポーツカーに生まれ変わっていったのです。

 

【ホンダS600/S800】

小排気量ながら国産初のツインカムスポーツ

 1952年のダットサン・スポーツDC-3に端を発し、69年のZ432で初めてツインカムエンジンを搭載したフェアレディとは対照的に、63年に登場した初代モデルのS500からツインカムエンジンを登場していたのが”エス”の愛称で知られる一連の「ホンダ・スポーツ」。

 しかも、戦前の1930年代から歴史を紡いできたダットサンに対してホンダは、2輪メーカーとしては世界に打って出る大メーカーとなっていたものの、4輪メーカーとしては産声をあげたばかり。まさに好対照な存在となっていました。

 そんな“エス”は「S500」として63年に誕生すると、翌64年には「S600」、さらに66年には「S800」へと発展。特徴的だったチェーンによる最終駆動も、コンベンショナルなシャフトドライブへと移行していきます。

 私事ながら、高校時代に親友宅の納屋で、バイクを弄り回しながら「大人になったらSR(フェアレディ2000)を買うんだ」と言う親友に「俺はやっぱり“エス”の方が良いな」などと夢を語り、サラリーマンとなって早々に手に入れたのが”エス”でした。 最終モデルでフロントにダンロップ製のディスクブレーキを装着した「S800M」で、友人の墓参りに出かけたことはほろ苦い思い出となっています。

 

【トヨタ・スポーツ800】

アンダーパワーを軽量な空力ボディでカバー

 1リッター以下と排気量がほぼ同じ。ホンダS800の好ライバルとされるトヨタの「スポーツ800」ですが、そのコンセプトは好対照なものでした。

 ホンダの”エス”がツインカムの水冷直4エンジンに対し、スポーツ800は初代パブリカのエンジンを発展させた空冷のプッシュロッド・フラットツインを搭載。オリジナルの697ccから790ccに排気量を拡大し、ツインキャブを組み込むと同時に圧縮比を高めるなどのチューニングを施していたものの、最高出力はS800の70馬力に対して6割ほどの45馬力に過ぎませんでした。

 ただし、車重が580kgとライバルに比べて140kgも軽く、空気抵抗の少ないボディを利して最高速は155km/hを記録。160km/hのライバルに匹敵するパフォーマンスを発揮したのです。

 それはコンセプトモデルの時代から受け継がれてきましたが、レースでは好燃費という武器に繋がり、特に耐久レースでは大活躍。ライバルが”エス8″(エスハチ)と呼ばれていたのに対して、”ヨタ8″(ヨタハチ)、となんとも愛らしい響きの愛称で呼ばれていたことが思い出されます。

 

【トヨタ2000GT】

珠玉のデザインを纏ったグランドツアラー

 67年に発売された「トヨタ2000GT」といえば、純国産乗用車のクラウンを1955年に登場させて以来、技術を磨いてきたトヨタが、そのレベルを世界に問うとして開発したスポーツカー。

 ヤマハとの共同開発で生まれた2000GTはクラウン用OHC2リッター直6の2M型にヤマハで設計開発したツインカムヘッドを組み込んだ「3M型」エンジンをX型バックボーンフレームに搭載。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式で、ブレーキも4輪ディスクブレーキを採用するなど、スポーツカーにふさわしい仕様だったのです。

 このようにパッケージ自体も高いレベルで開発されていましたが、66年の第3回日本グランプリにデビュー。純レーシングカー(グループ6)のニッサンR380に続く3位入賞を果たしたのを皮切りに、数々の耐久レースで活躍してゆきます。 また、同年10月には谷田部の自動車高速試験場においてスピードトライアルを実施。6時間から10000マイル(約16000km)まで、全13の種目において平均速度の記録を塗りかえました。

 さらに、国産車として初のリトラクタブルヘッドライトを採用。ロングノーズに短めのファストバック・キャビンを組み合わせたスタイリングや、ヤマハが手掛けた本木製のダッシュボード、ステアリングホイール、本革張りのシートなど内装のレベルも申し分なし。まさに、名実ともに日本を代表するスポーツカーに相応しい1台といえるでしょう。

 

【マツダ・コスモスポーツ】

宇宙船と評された2人乗りのREスポーツ

 ロータリーエンジン(RE)を搭載していることに加え、デザイン面でもライバルと一線を画していたスポーツカーが、1967年に登場したマツダの「コスモスポーツ」でした。

 RE搭載車を本格的に量販したということでは世界的にも唯一無二のメーカーとなるマツダ(当時は前身の東洋工業)が、その技術力をアピールするために開発したとも伝えられています。

 世界初となる2ローターのREをフロントに搭載していましたが、REのコンパクトさを生かしてノーズは必要以上に長くせず、また短めのキャビンに続くテールのセクションは伸びやかなデザインに。まるで宇宙船のような特徴的なスタイリングで魅了しました。

 サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン式で、リアはド・ディオン・アクスルで前後ともにコイルスプリングと組み合わせて使用。ブレーキはフロントにディスクブレーキが奢られていました。

 また、直立したダッシュボードに大小7個の丸型メーターが並ぶコクピットは、比較的タイトに纏められ、その辺りもスポーツカーの雰囲気を巧みに演出。いま見てもじつに美しい日本の古き良きスポーツカーといえるでしょう。

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