携帯電話が羨望の眼差しを受けたバブル時代
かつて、クルマに、今では考えられないような珍装備が付いていた時代があった。今どきの婦女子には理解不能かもしれないが、1986年から1991年に至る空前のバブル期、そして2000年代にかけて、自動車メーカーはそんなアイデアバブルというべき装備をこぞって採用、デートカーとしても、もてはやされたのだった。
バブル期を象徴する高額オプションと言えば、バブル絶頂期の1989年にデビューしたインフィニティQ45に設定された”18金”のキーだろう。銀座の日産ショールームで厳重公開されていたのを見た記憶があるが、価格はなんと52万円。さらに、インパネに金粉をあしらった漆塗りのパネルを用意するなど、深夜の六本木で女の子と万札を振りかざしながらタクシーを止めた時代ならではのバブルアイテムであった。
なかでも日産はバブルを見事に生かし切った自動車メーカーだろう。インフィニティQ45以外にも、Y31グロリアには「お絞り専用冷蔵温蔵器」、Y31セドリック・グロリアの「車載加湿器」、1992年デビューのレパードJフェリーではお値段80万円というイタリアの「ポルトローナフラウ本革シート」をオプション設定するなど、話題に事欠かなかった。
他にも1988年の6代目マークIIの「サイドウインドーワイパー」、1990年の三菱GTOに備わったマフラーの音質を任意で変えられる「アクティブエキゾーストシステム」も然り。もっとも、ワイパー類は女子ウケとは無縁の装備と言えるが、喜ぶ姿を見るために作動した人もいるはずだ。
さて、話を本題に戻して、バブル期以降、女子ウケ抜群だった装備。まずはなんといってもNTTの「自動車電話」は文句なしのアイテム。リヤにアンテナを立てた車載専用機はバブルの象徴ともいえ、電話本体を収められるセンターコンソールはVIPカーとして必須の装備だった。
思い出せば、筆者自身も巨大なショルダーフォン、平野ノラさんがネタにしているアナログ携帯電話(実際にはグレーだった)をいち早く手に入れたのだが、当初、NTTが無料試用サービスを行っていて、当時6秒10円だった通話料金も無料。さっそく借り出して、女の子をクルマに乗せて「いま、クルマから電話してるんだよ」と友達に鼻高々で電話をかけまくらせた、バフルな記憶がある。
ガイシャ、アルマーニ、携帯電話が、その時代の、女子ウケ間違いなしの三種の神器だったのだ。ちなみに、アナログ携帯電話を所有するには、今では考えられない保証金20万円、月額料金3万円も必要だったから、エバれたのかもしれない。
プレリュードは究極のデートカー機能を搭載
バブル期は、ガイシャが一世を風靡した時代でもあった。当時は左ハンドルが主流で、国産車には少なかった本革シートとの組み合わせが最強のモテグルマとして最強の武器だった(なかでもBMWやメルセデス・ベンツ)。道路で助手席の彼女を降ろす際は、車道側のため自然にドアを開けてあげる……。そんな自然なモテ行為も、左ハンドル車ならではだった。
そして、1992年にはバブルの終焉を迎えるが、国産自動車メーカーのモテ装備のアイデアへの情熱は尽きることがなかった。当時の自動車メーカーの若い開発者の中には、ユーザー同様にモテることに命をかける男子が多かったのかもしれない。
ショルダーラインに対して、倒したシート面が極端に低いため(ほぼ床面)、外から覗かれにくく、人目を気にせず、いちゃつくのに好都合。また、妖しく光るクラブ風イルミネーションやカーテンまで揃えていたのだから、男と女の雰囲気づくりまで完璧だった。当時のボクは、「どこでもラブホカー」と呼んでいた(失礼)。
そう、80年代から2000年代にかけては、男と女を急接近させるクルマの珍(アイデア)装備が数多くあった。モテ男の条件、彼氏の条件のひとつが”クルマの所有”だった、恋愛にアクティブで自由な時代ならではだろう。