純粋に運転を楽しむためのクルマとして登場
ホンダのバラードスポーツCR-Xは、1983年に誕生した。2代目は単にホンダCR-Xと呼ばれ、3代目ではCR-Xデルソルと名乗った。その後、約10年の空白期間を経てCR-Zが登場する。
バラードスポーツCR-Xが誕生した83年は、その4年前の79年に起きた第二次石油危機の影響を受けていたといえる。73年の第一次石油危機のときのようなトイレットペーパーの買い占め騒ぎは起きなかったが、イラン革命による石油生産の停止によって、石油の輸入をイランに依存してきた日本は第二次石油危機でも石油の需給に逼迫した。 70年からの排出ガス規制にようやく目途が立ったと思ったら、次は燃費の向上に自動車メーカーは奔走したのである。
そうした社会情勢を経ながら、運転を純粋に楽しむためのクルマとして、バラードスポーツCR-Xは生まれた。基になったのは、3代目のワンダーシビックだ。造形を担当したのは、初代のシビック、アコード、オデッセイなどを担当したデザイナーの岩倉信弥さんである。
CR-Xが、初代でバラードスポーツと名乗った理由は、3代目シビックの姉妹車として誕生したバラードという4ドアセダンと共通性があったためだ。シビックの基本は、2ボックス車だ。それに対し4ドアセダンがバラードで、そのスポーティな車種としてバラードスポーツCR-Xが生まれたのである。
低燃費が求められる時代のスポーティ車種として、バラードスポーツCR-Xは割り切ったクルマ作りが行われた。
のちにDOHCエンジン搭載車が追加となるが、当初はごく普通の高効率エンジンを搭載し、そのうえで車体は極端までに軽量化され、もっと軽いグレードでは車両重量が760kgでしかなかった。軽自動車並みの軽さだ。車体の外板には樹脂も用いられ、パッケージングは2+2でほぼ2人乗りと割り切り、車体を小柄にした。実際、米国では2人乗りで販売された。
1989年に、マツダからライトウェイトスポーツのロードスターが登場するが、バラードスポーツCR-Xは一足早く、たとえごく普通のエンジンでも車体が軽ければ壮快な運転が楽しめることを、「FFライトウェイトスポーツ」という価値観で示したのであった。