AMG 300SEL 6.8ℓがデビュー
AMGにとって、チームワークこそが成功をもたらした企業哲学であった。それは1971年のベルギー、スパ・フランコルシャンで開催される24時間レースまで、あと2週間という日の出来事だった。ホッケンハイムで行われた練習走行で、AMG 300SEL 6.8(ベースエンジン6.3L)に乗って走行していたはずのヘルムート・ケルナースがコース上で事故を起こし、マシンは大事なレースまで後2週間という時に「鉄クズ」同然となった。
アウトレヒト兄弟とメルヒャーはその打開策を深夜まで話し合ったが、そのアイデアさえ浮かばなかった。しかし、その瞬間「さあやろう、我々なら必ずできる!」という声が響き渡った。この時にAMG社の哲学「我々なら必ずできる!」が生まれたのは言うまでもない。夜明け前にマシンの残骸を解体した3人は、昼夜の区別なく自分達の哲学を守る為に作業を続けて完成させた。
鉄クズがAMGとして甦り、新たに無名だったハンス・ヘイヤーとクレメンス・シッケンタンツをドライバーとして契約し、スパ・フランコルシャンに向けて出発。1971年、ヘイヤーとシッケンタンツがAMG 300SEL 6.8Lでクラス優勝し、総合でも2位に輝いた。このレースでメルセデス・ベンツの名が再びモータースポーツの世界に蘇ったとして語り継がれているが、当然それはAMG社の力によって成し遂げられたものだった。
4ドアサルーン初の時速300km超え
1984年にメルヒャーが、各シリンダーが完全に独立した4つのバルブを持つシリンダーヘッドを開発。このイノベーションによりAMGはハイパーフォーマンス・エンジンメーカーとなった。1986年にはAMG 300E 5.6が登場。新開発の4バルブ・シリンダーヘッドを持つ360psのV8エンジンを搭載し、4ドアサルーンとして史上初めて300km/hの壁を超えた。
当時のもっとも有名なモデルは、1987年に発表した300CE 6.0 4V The Hammer(ハンマー)である。メルセデス・ベンツV8エンジンにDOHC 4バルブを組み合わせたパワーユニットは、ハンマーのニックネームで世界的な名声を得、現在もAMG神話の象徴モデルだ。つまり、金槌で後ろから殴られたようなトルクを発揮するという意味をもつ。