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なぜ「シーマ」だったのか? バブル絶頂時に「現象」を巻き起こしBMWやベンツすら凌駕した恐るべき日産車

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TEXT: 青山尚暉(AOYAMA Naoki)  PHOTO: FCA、Auto Messe Web編集部

シーマは日本車の大きな分岐点だった

 そんな1988年のシーマ現象について記憶を蘇らせていると、当時、個人的には輸入車一辺倒だったことを思い出す。愛車は六本木のカローラ=1985年型BMW325iに続き、バブルの波に乗って1987年には、当時のマセラティの販売代理店ガレージ・イタリアからマセラティビターボ2.5を購入。

 外車専門誌の寄稿も多く、それをきっかけに同年、おそらく日本で初めての輸入車購入ガイドの単行本「ぼくたちの外車獲得宣言」(リヨン社刊 1988年6月20日発行)を執筆、出版。メインテーマは「個性で選び、楽しむならゼッタイ外車、愛車選びは恋人選び」である。外車という表現自体、80年代的でバブルだ・・・・・・。

 ちなみに巻頭のカラーページは箱根のスカイラインを疾走するVWゴルフGTI、ランチャ・テーマieターボ、トランクにルイ・ヴィトンのバッグ満載のルノー5バカラ、そして愛車のマセラティビターボのキーと本革の車検証ケースにバローロという赤ワインが添えられている写真で構成されている。

 ランチャ・テーマieターボの見開きページには「オーバーブーストを与えられたテーマが、オフシーズンのリゾートを目指す。男と女。空がランチャブルーに染まらぬうちに」なんていう、自作のキャッチコピーが添えられていたりする。

 その単行本の出版記念パーティー。出版社主催で参加者男性3・女性7の比率で、新宿のホテル京王プラザで行ったあたりもバブル期ならでは。「ぼくたちの外車獲得宣言」は当時ヤナセのセールスマニュアルとして採用されたほか、その本が目にとまった、かの自動車評論家、巨匠の徳大寺有恒さんから、お住まいだったホテルのラウンジに招かれ「君は輸入車ばかりに興味を持っているようだが、あくまで日本車に軸をおいたほうがよい」と、パイプをくゆらせながら助言してくださった思い出がある。

 その後メルセデスベンツEクラスに乗り継いでいったのだが、バブル期に大人としていながら、バブルを満喫していながら、シーマとセルシオを所有しなかったことは、今でも後悔しているところだ。何しろ日本車の大きな分岐点、進化、文化の象徴でもあった2台だからだ。

 バブルを知らない世代で、しかし今、バブル期を体感したいというなら、セルシオよりもよりバブル臭の強い初代シーマの中古車をマイ・タイムマシーンとして探し、味わってみるのも悪くないだろう。
 ただしバブル当時とは違い、女子ウケはしないだろーなー。もしカセットデッキが生きていたら、カバー・ガールズの「ショー・ミー」など80年代のディスコで流れていた曲のセットも忘れずに。

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