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セリカこそ「世界のトヨタ」最大の功労車だ! ラリーで名を轟かせた7台とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,トヨタ自動車

【6代目のT200系】足まわりセットアップに苦労した悲運のラストランナー

 偉大なる父親や創業者に対して、子供や2代目社長が厳しい評価を受けるのは世の常ですが、GT-FOURの3代目、セリカでは6代目となるT200系にも、それが当てはまったようです。T200系の特徴となっていたスーパー・ストラット(SS)サスペンションですが、市販モデルではハンドリングレベルを引き上げていると高評価されたものの、WRCの競技車両ではセットアップに苦労してしまいます。

 そして実戦デビューも市販モデルの登場から10か月後、94年8月の1000湖が予定されていましたが、FIA2リッターワールドカップ戦に過ぎないオーストラリアにずれ込んでしまいました。デビューして以降も精力的な開発が続けられましたが初優勝は翌95年のツール・ド・コルスまで待たなければなりませんでした。そして同年のカタルニアで車両規定違反により失格となりそのまま活動を休止。現役生活はわずか2年間、悲運のWRCラストランナーとなってしまいました。

【7代目のT230系】2Lターボ・4WDが消えたもののJRCの2駆部門で奮闘

 99年の9月にセリカは最後のモデルチェンジを経て7代目のT230系に移行しました。97年からワールド・ラリー(WR)カー規定が導入されていたWRCに向けてはカローラがベースのWRカーがデビューしていましたし、なによりも市販モデルにGT-FOURはラインナップされていませんでした。

 しかし、ボディをコンパクトにして前輪駆動と割り切ったことで、大幅な軽量化が達成されたT230系は、全日本ラリー選手権(JRC)の2輪駆動部門に参戦して存在感をアピールすることになりました。そしてT230系は2006年に販売終了となり、初代から7代目まで、すべての世代がラリーで活躍したセリカの、36年の歴史に幕を下ろすことになりました。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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