絶版車・消えたクルマは数あれど……
戦後になって、国産乗用車が本格的に生産を始め普及してから約65年。その間に数限りない数の車種が登場した。モータリゼーション黎明期に出現したクルマの多くは、フルモデルチェンジの際に名前を引き継いだが、時代の変化や需要に合わせて、新たな車種も膨大に増えていった。派生車も含めたら、車種の総数は数え切れないほどだ。一方で、改名や車種自体の廃止によって消滅したクルマや、1世代限りで消えていった車種も数多い。
今回はそんな消えてしまった絶版車や、消えた車名を持つクルマの中から、クルマファンでも知らない、もしくは忘れ去られてしまったクルマを6台ピックアップ。前後編に分けて3種ずつ、兄弟車も含めて紹介しよう。
サニー店のフラッグシップだった 「小さな高級車」
「日産 スタンザ」と聞いて、「懐かしい!」という人と「知らない!」という人のどちらかに分かれると思う。スタンザは1977年に2代目「バイオレット」の派生モデルとして「オースター(初代)」とA10型3兄弟の一員として登場。
初代バイオレット・710型は、3代目ブルーバード(510型)が4代目の「ブルーバードU(610型)」に上級移行のフルモデルチェンジをした際、空白になってしまった510型のクラスを埋めるべく生まれた。2代目バイオレットもその車格を引き継ぐと同時に、チェリー店向けのオースター、サニー店向けのスタンザという兄弟車を従えることに。中でもスタンザはサニー店の旗艦となったため、高級モデルであることを意識した内外装・装備を誇っていた。
初代スタンザ・セダン(A10型)。写真はセダンの最上級グレード「マキシマ GT-E」前期型。マキシマの名前は、のちに派生して別車種に発展する。バイオレットとオースターにあった1.4リッターエンジン(A14型)は載らず、1.6リッター/1.8リッター(Z16/Z18型)が積まれた。
A10型3兄弟には、セダンのほか5ドアハッチバックがあり、初代スタンザでは「リゾート」と呼ばれた。さらにバイオレットとオースターにはハッチを持つクーペが用意され、それぞれ「オープンバック」「マルチクーペ」と称した。写真はリゾートの最上級グレード「スタンザ・リゾート 1800X-E」の後期型。フォグランプがグリル内に収まっているので後期型と区別ができる。
そして1981年、3兄弟は揃ってフルモデルチェンジを受けてT11型に。駆動方式は横置きエンジンのジアコーザ式FFへ、足回りも4輪独立懸架になり、80年代を切り開くにふさわしいクルマに進化した。「バイオレット・リベルタ」「オースターJX」「スタンザFX」というサブネームも付き、日産の意気込みが強く感じられた。
T11型の外観は、いかにも70年代的なデザインだった先代から、余計な要素を削り取ったモダンでシンプルなものに。空力を意識したようなスタイルは欧州車風味。FF化で車内も広くなり、窓も大きくなって視界も向上。真面目で良質な実用車に仕上がっていた。スタンザFXは、格子状のグリルなどによって先代モデル同様に3兄弟では最上位モデルという位置付けを継続した。
FF化によって印象を変えた2代目スタンザ。「FX」というサブネームがついた。エンジンはCA型で、1.6リッター/1.8リッター/1.8リッターインジェクションの3種を用意。登場時のボディバリエーションは、セダンと5ドアハッチバックだった。同時に新型になったバイオレット・リベルタ、オースターJXでは、3ドアハッチバックもラインアップ。写真は最高級版の「セダン1800Z-Eマキシマ」。
ブルーバードやローレルのような立派なマスクを得ている。後期型では5ドアハッチバックが消え、3ドアハッチバックを追加。写真は「1800Z-EX」。グレード名からマキシマが外れたが、1984年になってブルーバードのV6版に「マキシマ」という名称が付与された。
スタンザは1986年に3代目にスイッチし、T12型になった。この代ではバイオレットの名が消え、「スタンザ」と「オースター」が兄弟車として名を残した。先にフルモデルチェンジしたのはオースターで、スタンザが後を追う形で登場している。
先代オースターは世界戦略車の位置付けだったので、T12型でもそれを引き継ぎ、英国日産(NMUK)で現地生産車種にも選ばれた。一方のスタンザはやはり高級路線。前後デザインにはラグジュアリーカーの雰囲気が漂い、装備も充実していた。しかし販売台数は伸びず、1990年にオースターともども生産終了、両車名ともに消滅した。後継車は初代プリメーラ(P10型)である。
3代目ではFXのサブネームが取れ、再び「スタンザ」に。日産のラインアップ内で「サニー以上ブルーバード未満」という狭い範疇を踏襲したが、サイズや機構的にはブルーバードに近くなった。写真は前期型、最上級モデルの「スプレモ1800ツインカムターボ」。エンジンは4種のCA型で、1.6リッター/1.8リッターインジェクション/1.8リッターターボ/1.8リッターDOHCターボが積まれた。
シビックでもアコードでもないハッチバック
1970年代後半、ホンダの乗用車は「シビック」と「初代アコード」、そしてスペシャリティカーの元祖「プレリュード」が販売されていた。そのシビックとアコードの間を埋める車種として1980年に登場したのが「クイント」である。
シビックに似た外観だが、外装部品は一切共通化していない。クイントは当時の国産車では珍しく5ドアハッチバックを採用しており、ホンダ初の分割可倒式リアシートによって高い実用性を得ていた。しかし、シビックでもアコードでもない「どっちつかず」の印象がぬぐいきれなかったのか、クイントの販売は芳しくなかった。
1978年にオープンした販売店網、「ベルノ店」専売車種で用意された側面もあったクイント。エンジンはアコードと共通の1.6リッター CVCCのみ。デビュー直後から台数が伸びず、登場翌年の1981年にはマイナーチェンジして後期型に。2代目アコード似のマスクになった。写真は前期型で、最上級グレードの「TER」。ヘッドレストの形状が面白い。
クイントは1985年にフルモデルチェンジを行なったが、その際に同社のバイクに与えられていた名前「インテグラ」を追加。コンセプトを一新し、実用ハッチバックからスポーティなキャラクターに変身した。デザインもシンプルで、2代目プレリュードのような低いボンネットやリトラクタブルヘッドライトも斬新な印象を与えた。
それでいて居住性や積載性の高さもキープしていた。このイメージチェンジは大成功し、1989年のフルモデルチェンジでは「クイント」の名前が外れて「インテグラ」として独立。さらに2度のフルモデルチェンジを行いつつ、2007年まで販売された人気車種となった。
見るからにスポーティな雰囲気を匂わせるクイント・インテグラ。1985年の発売当初は3ドアハッチバックのみ先行して登場。9ヶ月遅れて5ドア、翌1986年には4ドアセダンを追加している。写真は前期型の「GS-i」で、ZC型1.6リッターDOHC+電子制御燃料噴射(PGM―F1)エンジンを搭載。
洗練された都会派スペシャリティカーのエチュード
1987年に登場したマツダ・エチュードも、知る人ぞ知る国産車のひとつだ。5代目ファミリア・BF型をベースにしたスペシャリティカーで、ターゲットはズバリ「クルマもファッションだと感じる時代を先取りする若い世代」。キャッチコピーも「アーバン・チューンド」として、「都会派」をアピールした。
クリーンなデザインが特徴のエチュードは、インテリアも、ダッシュボードの造形こそファミリアと同じながらも、素材を変更して上質感を演出。派手な高級ではない、シックなイメージでまとめられていた。装備面でも充実しており、全車パワステ・パワーウインドウが標準だった。今思うとエチュードは「プレミアム・コンパクト」を先取りしていたのだ。
上質な内装にファッショナブルな外観を持って生まれた、エチュード。クリス・レア「On The Beach」が流れるCMが印象深い。エンジンは当初1.6リッターDOHCのみで、1988年に1.5リッターOHCを追加している。国内では1世代限りの名前だが、南アフリカでは、ファミリアが一時期エチュードの名を引き継いでいた(!)。
しかしこのエチュード。コンセプトが難解だったのか、スタイリッシュさが足りなかったのか、マツダの思惑通りには売れなかった。廉価版の追加や明るいボディカラーを用意するなどテコ入れを行なったものの好転せず、1989年には早くも生産を終了。生産台数は約1万台と言われており、当時から希少車扱いだった。なお、直接的な後継モデルは「ファミリア・アスティナ」である。
なおエチュードの生産終了から15年後に登場した「ベリーサ」は、デミオベースの小さな高級車というコンセプトが市場に受け入れられ、11年間にわたり販売されたプチヒット作となった。ベース車も車格も異なるが、ベリーサに「エチュード再来」という想いを寄せた人も少なからずいたのではないかと思う。
ということで、クルマファンでも知らない!? 消えた国産車6選のうち、前半3車種をお送りした。後半でも、クルマファンでも知らない・忘れてしまっているようなクルマが続出する予定だ。どうぞお楽しみに。