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なぜ日産だけが話題になる! スカイラインの影で泣いた「GT-R」の名を持つクルマ6選

「GT-R」以外の“GT-R”もけっこう存在する

「GT」=グランツーリスモは、スポーティーかつラグジュアリーな長距離ドライブに適したクルマ。そうしたひとつのカテゴリーを示す「GT」に、レーシングなイメージ=「R」をプラスした『GT-R』というネーミングは、本来それほど珍しくない車名なはずだ。

 日本では歴代のスカイラインGT-Rとその血統である日産GT-R(R35)の印象が余りにも強く、「GT-R」=スカイラインシリーズのとくにハイパフォーマンスな特別なグレード、という位置づけが定着している。

 ちなみに国産車で最初の“GT”は、1964年に登場した「いすゞベレットGT」。通称ベレGにDOHCエンジンを積んだ高性能バージョンが「GTR」で、1969年11月に追加されるが、初代スカイラインGT-R(PGC10 ハコスカ)は、1969年2月に発売。じつは「GT」も発売はスカイラインが一ヶ月早かったが、発表はベレットが先だった。

 これら日産といすゞのGT-Rは別として、他社にも「GT-R」の名を持つクルマはいくつか存在する。今回は、それらのGT-Rをいくつかピックアップしてみよう。

1)トヨタ カリーナGT-R(AA63)

 当時のコロナのシャシーを流用した3代目カリーナに、AE86と同じ4A-Gエンジンを積んだスポーティな4ドアとして1982年に発売されたのがカリーナGT-R。日本で初めてのDOHCターボエンジン(3T-GTEU)を積んだ、「カリーナGT-T」と「カリーナGT-TR」も同時にデビューしている。

 駆動方式はFRで、モータースポーツなどでは活躍しなかったが、AE86の4ドアセダン版という扱いで、のちにドリフト練習車として、カリーナGT-Rの乗る人も多かった。

2)マツダ RX-7 GT-R(FC3S)

 マツダの2代目RX-7=FC3Sのベーシックグレードに「GT-R」という名前が与えられていた。歴代スカイラインGT-Rとマツダのロータリースポーツは、ある意味ライバル関係だったが、FC3Sがデビューした1985年は、スカイラインは7代目=R31が発売された年。スカイラインGT-Rの復活は4年も先だったので、FC3Sに「GT-R」というグレードがあっても、違和感もなければ、特別視することもなかった。

 FC3Sには「GT-R」の他に、アルミボンネットとLSD(ビスカス)のついた「GT-X」というグレードがあったので、走りの本命としては「GT-X」に注目が集まっていた。

3)マツダ ファミリアGT-R

 マツダにはもう一台「GT-R」と名付けられたクルマがある。それが7代目ファミリア(BG型)に設定されたGT-Rだ。BGファミリアは、コンパクトなボディにDOHCターボ+フルタイム4WDというパッケージを持つ「GT-X」というグレードがあり、他社のハイパフォーマンスモデルをも凌駕する性能を見せた。

 WRCにも輸出名の「323GT-X」の名で出場し、好成績を上げるが、グループAカテゴリーの中、ライバルの2リッタークラス勢に対し、1.8リッターのファミリアはやや非力……。そこでターボチャージャーを大型化し、インタークーラーを前置きにして210馬力にパワーアップしたホモロゲート・ミートバーション「GT-R」を1992年に投入。

 1993年からWRCに本格参戦する要諦だったが、バブル崩壊の影響で、ワークスチームはWRCから撤退……。ただし、プライベーターが1993年のグループNでチャンピオンになっている。3連パワーバルジのエンジンフード、大型フォグのついた専用バンパーがGT-Rの特徴だった。

4)BMW M3 GTR

 BMWの高性能スポーツモデルM3は、ポルシェ911シリーズのライバルであると同時に、FRのセダンベースのハイパフォーマンスカーという意味で、スカイラインGT-R+日産GT-Rともダイレクトなライバル関係といえる存在。

 そんなM3の第3世代=E46の限定モデルにM3 GT-Rというのがあった。M3 GT-Rは、2001年に登場。AMLS(アメリカン・ル・マン・シリーズ)にレース参戦するために、限定10台がヨーロッパで発売された、ホモロゲート ミートバージョン。

 ドライサンプの4リッターV型8気筒エンジンを積んで、380馬力に6速MTという組み合わせだった。ルーフとリアウィング、フロントバンパーとリアバンパーはカーボンコンポジットで、車重は1350kg。250,000ユーロ(約2700万円)で販売された。

5)マクラーレンF1 GTR

 F1の名門チーム「マクラーレン」。同社の夢だったロードゴーイングカーの製造販売を具現化したのが、マクラーレンF1だ。じつはF1マシンのブラバムBT46B、BT49、BT55、そしてセナ・プロのコンビで、16戦15勝を記録したマクラーレンMP4/4をデザインした、鬼才ゴードン・マレーがこのクルマも設計している。

 F1マシンと同じようにカーボンモノコックボディで、ドライバーシートをセンターにレイアウトするという大胆な発想で、史上最強のスーパースポーツとして度肝を抜いた。そのマクラーレンF1をベースに、レース専用車として作られたのが、マクラーレンF1 GT-R。

 1994年に登場し、1995年のルマン24時間レースでは、J.J.レート/ヤニック・ダルマス/関谷正徳組が総合優勝。国内でも、全日本GT選手権で、チーム・ラーク・マクラーレンのマクラーレンF1 GT-Rが、圧倒的な速さで総合優勝。あまりのパフォーマンスに、過大な性能調整が課せられ、実質的に全日本GTから追放された……。

 完全なレース仕様車だったGT-Rだが、マクラーレンカーズによってロードカーへの転用改造が行われナンバーを取得した個体が何台かある。

6)ランボルギーニ ディアブロGTR

 ランボルギーニ ディアブロGT-Rは、カウンタックの後継車として登場したランボルギーニ ディアブロのワンメイクレース用のモデル。レース用プロトタイプとして製作されたディアブロGT2の市販公道バージョン「GT」(世界限定80台)がベースで、1999年に30台だけ製造された。

 V型12気筒6リッター590馬力のエンジンで、車重は1385kg。ランボルギーニがアウディの傘下になってから作られたモデルだ。

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