前半に続き後半も粒ぞろい?
前回「名前を聞いても姿が浮かばない! クルマ好きの記憶からも消え気味の国産旧車3選【前編】 」と題して、消えた国産車でもとくに知名度が低いクルマ3車種を紹介した。後編でもこれまた粒ぞろいな3車種を選んでみたので、ぜひご覧いただきたい。
車名に社名を込めた心意気…だけど売れなかった
かつての国産車では、販売店向けに仕様を変えた「兄弟車」の追加や、車格の間を埋めるために新たな車種を用意することは頻繁に行われていた。三菱も1978年からカープラザ店系列で販売を開始した小型車「ミラージュ」と「ギャラン」の中間車種を用意した。それが1982年登場の「トレディア」だ。
なお、トレディア発売時点のミラージュとギャラン、ランサーには「サブネーム」が付いており、正式な車名は「ミラージュII」「ギャランΣ」「ランサーEX」だった。
このほかミラージュの兄弟車「ランサー・フィオーレ」、ギャランの兄弟車「エテルナΣ」もあったが、ここではわかりやすくするために、サブネームを取って解説する。
この時代の三菱車は、内外装にどこかフランス車らしい雰囲気が漂っていたが、カタログでもご覧のように思い切りTGVと並走するという、衝撃的なシーンを展開していた。写真は「トレディア1600GSRターボ」。三菱伝統のスポーツグレード・GSR、ボンネット上のエアスクープが勇ましい。
そのトレディアは、ミラージュ4ドアセダンをベースにしたFF車。室内も広く快適と評された。凹凸の少ない各部処理などの空力を意識したデザインが特徴で、三菱そのものを意味する「TREDIA=3つのダイアモンド」という車名に、大きな意気込みが感じられた。
しかしトレディアの売れ行きは発売直後から芳しくなかった。トレディアは1988年まで販売されたが、ほぼ同時期に売れたランサーの数は、なんとトレディアの倍だった。しかもランサーの末期は「ターボ」が主力だった……と聞けば、トレディアの悲惨さがわかる。
マイナーチェンジでパートタイム4WDを追加したり、グレード追加を行ったりしたが、結果としてミラージュとランサーというWビッグネームとシェアを奪い合ってしまったこともあり、最後まで販売台数が上向くことはなかった。
そしてトレディアには、ランサーセレステの後を継いだ「コルディア」というスペシャリティカーの兄弟車がいた。未来的なイメージから「2001年から来たスペースクーペ」というキャッチコピーが与えられ、世界初の液晶式デジタルメーターの採用も話題になった。販売店(ギャラン店/カープラザ店)によって「コルディアXP」「コルディアXG」と名付けられ、XPはグリルレスなので見分けがついた。
1983年のマイナーチェンジではXP・XGの呼び名が消え、ターボエンジンを1.8リッター化して135馬力までパワーアップ。84年にはパートタイム4WDも同様に追加された。しかもこの時にFFモデルを廃止。エンジンもターボに1本化したことで、世にも珍しい「悪路走破性が高い4WDターボのスペシャリティカー」という性格付けに固定。レオーネやジープなどのような“悪路をしっかり走れるヨンク”となった。
4WDターボは、クーペとRV(SUV)が融合した「クロスオーバー車」だったコルディアは、現在のトレンド「クーペSUV」のハシリだったのかもしれないのだ。
ダイハツがシャルマンで見せた意地
国産メーカー同士の業務提携の中で、古くから深い関係にあるのがトヨタとダイハツ。その歴史は1967年まで遡り、1969年には「トヨタ パブリカ」を「ダイハツ コンソルテ」として発売している。コンソルテはパブリカのモデルチェンジや「スターレット」の登場に合わせて進化を続けたが、エンジン・トランスミッションをダイハツ製メインにしていた以外は、外観上の差異は少なかった。
そんな中、1970年代初頭のダイハツには1.2リッター以上のクルマが無かった。そのためオーナーが買い替えの際に「ひとクラス上」に移ると、ダイハツユーザーではなくなってしまうことが懸念された。そこでダイハツは、カローラをベースに同社初となる1.2リッター/1.4リッタークラスの上級大衆車「シャルマン」を開発。1974年から発売を開始した。
初代シャルマンデビュー時のグレードは、下からデラックス・カスタム・ハイカスタムで、写真は最上位の「1400ハイカスタム」。1976年のマイナーチェンジでは1.2リッターが1.3リッターに、1.4リッターは1.6リッターに排気量アップ。グレード構成も変更され、ハイカスタムに「グランドカスタム(GC)」と「スポーツカスタム(SC)」を追加した。
初代シャルマンのベースは、同じ年に先行してデビューしていた3代目カローラ・30系ではなく、先代で旧型の20系だった。
コンソルテと異なりパワートレーンはすべてトヨタ系となったが、ボディはダイハツオリジナルとなり、デュアルヘッドライトの採用、カローラよりも長い全長、スタンダードがないグレード構成などで上級小型車をアピール。この戦略が成功して順調な滑り出しを見せ、1975年にダイハツで一番売れた車種となった。
1978年には大きめのフェイスリフトを行ってこのスタイルに。写真のグレードは「1600グランドカスタム(GC)」で、クラス初のリアセンターアームレストを備えていた。
初代シャルマンは幾度かの改良を重ねたとはいえ、モデルチェンジのサイクルが概ね4年だった当時では息が長いモデルで、旧態化が否めなかった。そこで1981年に2代目が登場。初代同様にカローラのフロアパンを用いて開発されたが、2代目では、当時の最新型カローラである70系がベースになった。
初代から上級モデルという位置付けだったシャルマンは、2代目ではさらに高級路線にシフト。特に内装は2リッタークラスもかくや、という雰囲気の「ルースクッション」を備えたグレードまで用意された。当時の車格を超えた装備を有し、遮音対策なども徹底していた。他社では小型の1.5リッターセダンも、ダイハツでは最上級車。「このクラスのフラッグシップを開発する」というダイハツの意地を、そこここに見ることができた。
2代目シャルマンの最上級グレードが「アルティア」。写真は1984年にカラードバンパーを得てからの姿で、ティンテッドガラス、パワステ、パワーウィンドー、集中式ドアロックを標準としたほか、後席にもスポットランプを設置した「アルティアL」。その代わり価格は高く、アルティアLはクラスが上の「トヨタ カムリ1800ルミエール」とほぼ同額だった。
忘れ去られたマイナー4WD トヨタブリザード
この記事の最後は、無骨な4輪駆動車で飾ろう。その名は「トヨタ ブリザード」。これも初めて聞くか、すっかり忘れられている車名ではないだろうか。ブリザードはダイハツのOEM車だったので尚更だろう。
ところで、ダイハツが6月に発売を予定している新しい軽SUV「タフト」は、「ロッキー」に次ぐ懐かしい車名復活ということもあり話題になっている。元々のタフト、ロッキー、タフトを改名した「ラガー」は、いずれもコンパクトながらラダーフレームを持つ本格的4WDだった。
その第一陣が1974年に登場したタフトで、前後リジッドアクスルをリーフサスで吊るハードなRVだった。初代ブリザードはこのタフトにトヨタバッジをつけたクルマで、1980年からカタログに加わっている。出来たばかりのビスタ店専売車種でもあった。ミニ・ランクル40系のようなスタイルは「ランクルの弟分」というイメージ作りにもぴったりだった。
当時の国産RVは下がスズキ ジムニーで上が三菱 ジープ、日産 パトロール、ランドクルーザーという展開で、クラス差が大きかった。そこでダイハツが投入した1リッタークラスの4WDがタフトだった。1980年時点のタフトには、1.6リッタートヨタ製ガソリンと2.5リッターダイハツ製ディーゼルエンジンが積まれたが、ブリザードではエンジンがトヨタ製2.2リッターディーゼルのみという違いがあった。
1984年、ダイハツはタフトをフルモデルチェンジ。「三菱 パジェロ」のように装備を増やし乗り心地も改善するなど、街乗りでの快適性を大幅に高め、車名も「ラガー」に改名した。本格的なクロスカントリーモデルなのは不変でタフト同様にホロとハードトップが用意されたが、ホイールベースを伸ばした「レジントップ」が新たに加わっている。
一方のブリザードはベースモデルが新型に切り替わったため、2代目はそのままラガーのOEM車となった。ボディバリエーションはラガーに順じた3種で、のちに常用登録の「ワゴン」を追加。その後も内外装の変更、グレード追加を行いつつ、1997年まで販売された。
写真は2代目ブリザードの「ハードトップLX」。全長はパジェロのショートより約28cmも短い。エンジンはトヨタ製2.8リッターディーゼルのみでスタートしたが、のちにターボディーゼルも搭載されるようになった。
「消えた」クルマは他にもいっぱい
現在では車種が増えるよりむしろ、削減されるばかり。日産ではマーチからサニーやラティオのクラスをノート1車種でカバーするようになった。セダンでは、サニーに相当したラティオも今はなく、ブルーバードの後を担う「シルフィ」、ローレルクラスの「ティアナ」と「スカイライン」のみだ。かつてのように間を縫って細かく車種を増やしていた時代が嘘のようである。
国産車には消えたクルマ、今回のような「ファンも忘れちゃったようなクルマ」は他にもまだまだたくさんある。また機会を得て、改めて記事にしたいと思う。