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F1までやっちゃうルノースポールにはアルピーヌの血! 知ってるようで知らない両者の深すぎる仲

モータースポーツで立身出世するアルピーヌ

 58年前に登場、今も多くのファンに根強い人気を持つアルピーヌA110。そのオリジナルをオマージュした現行のA110が2年前に登場し、大きな話題を呼びました。

 そんなアルピーヌは、今ではルノーの一ブランドとして知られていますが、オリジナルが登場した当時は、れっきとしたメーカーとして存在していました。今回そんなアルピーヌについて、その生い立ちからレースでの活躍などを振り返って紹介して行きましょう。

空力特性をパワーにしたアルピーヌ

 1956年にパリでアルピーヌ社を創業することになるジャン・レデールは、まだ第二次大戦の開戦前、1922年にパリから200kmほど北西、英仏海峡に面したディエップで生まれています。戦後、ジャンはルノーのディーラーを営んでいた実家の家業を手伝う傍ら、モータースポーツに熱を上げるようになっていきました。

 ルノー4CVをチューニングして幾つものレースで優勝を飾るようになった彼は、自分のチューニングに自信を深めていき、今度はチューニングカーを販売することを考えるようになりました。その手法はそれまでの経験を活かしていて、エンジンのチューニングよりもボディを軽く、空気抵抗の小さなものに交換する、というものでした。

 その第一弾として1956年に完成したモデルがアルピーヌ・ミッレ・ミリア A106でした。ミッレ・ミリアは言うまでもなく1957年までイタリアで行われていた伝説的な公道レースで、実はA106が完成する前年、プロトタイプでクラス1-2フィニッシュを飾っていたことをアピールするネーミングでした。

 そしてA106 というのはベースとなった…と言うよりもルノー4CVから流用したエンジンの型式(ルノー106系)を示すものでした。

 そしてA106はその後、ルノー・ドーフィンをベースにしたA108として登場。

そしてルノーR8をベースにしたA110と進化して行くことになります。

 このA110がロングセラーの大ヒットとなり、メーカーとしてのアルピーヌ社を支える大黒柱となったのです。

 ルノーの市販車からエンジンなどの主要コンポーネントを流用しただけでなく、その契約によりディーラーシップを利用する販売システムを構築できたことが、アルピーヌが成功する大きな要因となりました。

ルノーのPRに大きく役立ったアルピーヌの活躍

 一方のルノーにとっても、この契約では大きなメリットがありました。それはアルピーヌがモータースポーツで活躍することで、ルノーにとっては大きな宣伝効果を得ることができたから。まさにウィン・ウィンな状態となったのです。

 市販モデルのA110をベースにしたグループ4仕様のラリーカーは、世界各地のラリーで大活躍。世界ラリー選手権(WRC)が創設された1973年には栄えある最初のワールドチャンピオンに輝いています。

 一方、レースにおいては63年に登場したA210/M63を筆頭に、数多くの競技専用車両がスポーツカーレースに参戦。ル・マン24時間でも小排気量クラスでは毎年のようにクラス優勝を争っていました。

 これを支えたのがルノー・エンジンのチューニングに関しては第一人者として知られるアメディ・ゴルディーニでした。小排気量ながらゴルディーニがチューンしたエンジンと、軽量な空力ボディを武器に、66年のル・マンではクラス優勝だけでなく総合でも11位に入賞しています。

 その後、自らがモータースポーツに打って出ることを決断したルノーは、1969年にゴルディーニ社を、73年にはアルピーヌ社を買収。76年には両社を統合する形でルノー・スポールを設立しています。そしてこれ以降、アルピーヌはルノーの一ブランドとして生き残ると同時に、ルノー・スポールとして競技車両やハイパフォーマンスなロードモデルの生産を手掛けてきています。

 1978年にはターボ・エンジンを搭載したアルピーヌ・ルノーA442Bでル・マン24時間の総合優勝を達成。

 またF1GPにもターボ・エンジンを持ちこんで77年から参戦し79年のイギリスGPで優勝。これはルノーにとって初優勝となっただけでなく、ターボ・エンジンとしても初優勝で、ポルシェやホンダによるターボ時代の幕開けとなりました。

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