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ポルシェやフェラーリが軽自動車に「アオられる」衝撃!  岡山に生息する伝説の「トゥデイ」の正体

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TEXT: 岡田幸一  PHOTO: K-STYLE編集部、ホンダオート岡山販売

岡山の「軽四耐久レース」から生まれた激速トゥデイを辿る

 動画サイトやSNSで定期的にバズる「ホンダオート岡山販売」の2台のトゥデイ。鮮やかなアリスグリーンと角目が特徴の1号機と、黒いボディカラーの丸目の2号機。軽自動車がトンデモなく格上のスーパーカーやスポーツカーをブチ抜くシーンは、いまや世界中のクルマファン、レースファンを虜にしている。

 その姿は動画を見れば一目瞭然だが、2台のトゥデイがなぜ生まれ、どうして速いのか? 他ではあまり知ることができないその歴史や背景、オーナーたちの人となりを紹介していく。

岡山という場所。そして「軽四耐久」とトゥデイ

 1971年に中山サーキットがオープンし、1983年には備北ハイランドサーキットが完成。さらに1990年、TIサーキット英田(現在は岡山国際サーキット)ができた。これら3つのサーキット周辺には戸田レーシングやOS技研、ATSなど、レースシーンには欠かせない「超」がつくほどの有名企業がたくさん密集している。これが『岡山』という場所だ。

 中山サーキット全盛期の1980年代ごろには「NCHKグランプリ」といって、西日本の走り屋たちがこぞって参戦した伝説のレースも開催された。シビックやレビン/トレノ2(AE86)などが入り乱れる「テンロククラス」の壮絶なバトルはいまでも語り継がれるほど。

 TIサーキットの完成以降、中山から英田にメインステージが移行したのはやむを得ないところ。ただこれを機に寂しくなると思いきや、その流れを逆手に取り、国内初といわれる軽四耐久レースが備北ハイランドサーキットで開催、続いて中山サーキットでも軽四耐久が始まった。岡山という場所はじつに熱い。

 同じエリアで開催された2つの軽四耐久だが、性格は分かれた。備北は比較的入門向きなテイストを目指したのに対して、中山はその歴史が物語るように、ガチ以上の超ガチンコ耐久へと発展。マシンはフルチューン、タイヤはセミレーシング(Sタイヤ)。プロフェッショナルなレースとなんら変わらないほど、何もかもマジ。中山は、耐久レースなのにスタートからゴールまで全開。純粋に速いマシン、強いチームだけが勝つ軽四耐久に大勢が引き込まれていった。

 そこで人気を二分していた車両が、当時のアルトワークスとトゥデイ。ホンダオート岡山のトゥデイも代表の近藤さんが古くから中山軽四耐久に参戦し、中山はもちろん備北でも優勝を経験。近藤さんとはそう、あのポルシェよりも速いトゥデイ1号機のオーナーであり、ドライバーでもある近藤智(さとし)さん、その人だ。

 当然ながらトゥデイも始めから今のように速くはなかった。軽四耐久レースを通じて、近藤さんたちの手によりアップデートが繰り返されてきた背景は当然無視できない。このように岡山の全開&ガチ軽四耐久レースを出自に、セミレーシングタイヤを履く激速トゥデイ文化が地元岡山をはじめ、九州や関西あたりにまで根付き、いまへとつながっていくのだ。

西日本特有「ゼンカイ走行」のトゥデイ文化を継承する1号機&2号機

 激速トゥデイ文化を分かりやすく「西日本」からの目線で辿ってきたが、もちろん「東日本」もとい「全国」に、軽四耐久におけるトゥデイの強さは浸透している。だが、西に言えることは、エコランではなく“常に全開”という独自の進化を遂げてきた違いがある。ホンダオート岡山トゥデイの速さの(いい意味での)元凶(!?)はそこだ。

 軽四レース界の認知度では、当時のアルトワークスは言わずと知れた全国区。ターボチューニングを前提とし、NAのトゥデイよりも理論上はイージーにパワーを上げられるため、軽カー最速のイメージとしてはアルトワークスが上かもしれない。

 しかし、耐久レースとなると話は別。総合力だとトゥデイがアルトワークスに迫るどころか、速いこともしばしば。そもそもNAのほうが燃費が良い、ということもあるが、ホンダのE07A MTREC(エムトレック)エンジンが高性能過ぎたことが大きな理由。

 これは、ビートに搭載された新開発の3連スロットル式エンジンのこと。F1エンジンと同じく、3気筒それぞれにスロットルを備えた3連スロットルのMTREC。いつしかビートのMTRECエンジンをボディの軽いトゥデイにスワップすることがスタンダードになり、軽四耐久ではトゥデイの敵はトゥデイという状態になっていった。

 そこで満足しないのが西の人たち。もう完全にアマチュアのレベルを超え、トゥデイ vs トゥデイの戦いはさらにエスカレート。ここに本気のレースエンジン屋も参入。コンピューターチューニングを施し、ハイカムシャフト、ピストンやコンロッドなどのエンジン内部にまで手がつけられたE07A MTRECは、10000rpmを余裕で超えてまわるようになり、痺れるほどの甲高いホンダサウンドを奏で、別次元の走りを披露。まさにF1!!

 普通ならここまででもかなりスゴイ。しかし、ここから先がまだある。それが、ホンダオート岡山トゥデイの1号機&2号機。軽四耐久からのノウハウをすべて注ぎ込み、1号機はターボ化、2号機はNAのまま、岡山国際サーキットでスーパーカーや普通車を追いまわすことが次のターゲットとなった。

1号機のスペック、オーナーの人物像

「軽四耐久の延長で続けている感じですね。いろいろとやっていったら楽しくなってしまって……」とはホンダオート岡山販売の近藤代表。アリスグリーンのホンダオート岡山トゥデイ1号機は同社のデモカーであり当時(いまでも?)の耐久仲間を巻き込んでの趣味車。化粧プレートにある“FLAT TOP”の文字は、仲間と一緒に歩んできた象徴。

 ホンダオート岡山トゥデイ1号機のベースになっているのはJW3型と呼ばれている角目のトゥデイ(カラフルポシェット/1990年式)。知らない人なら一見しただけでは「ただの量産グレードのお買い物グルマにしか見えない」のも近藤代表のコダワリ。

 動画サイトで有名になってからは、県外や海外からもトゥデイを見せてほしいと店舗にいろいろな人が訪れるようになり、「僕自身はインターネットも動画のこともよく分からないので、こんなことになるなんて(笑)」と本人も驚きを隠せない様子。

 きっかけは岡山国際サーキットで開催された、とある媒体がらみの無差別級バトルロワイヤルスプリントレースに出場したこと。そこでポルシェやフェラーリを追いまわすトゥデイが一気に話題になったのだ。レースカーにありがちなステッカーも貼っていなく、小さくて可愛いルックスがそれに拍車をかけた。

 ちなみに現在の仕様だが、ピークパワーは推定約250馬力(!!)。いろいろなターボチャージャーを試してきたが、いまはR34スカイラインGT-Rのターボチャージャーに落ち着いたという。「ベースが軽四ですから、壊れたら新しく部品を仲間につくってもらって強化して……を、ずっと繰り返していますね」。エンジンルームもドレスアップカーかと思うぐらいに超ピカピカ。

2号機はヨシムラTMRキャブ3連スロットル

 一方の2号機は1号機が初代なら2代目となるJA4型式のトゥデイ(Xi/1993年式)がベース。オーナーは岡山県に住む平木祐一さん。クルマの解体業に従事する平木さんは、もともと無類のカーマニア。フルエアロを組んだ80スープラも所有していて、それのエンジンを載せ替えるときに友人の紹介でホンダオート岡山に相談したのが近藤さんとの出会い。

「いまにはないボディフォルムが好きで、近藤さんに出会う前から、トゥデイはイジっていました。元々はウチのオカンが乗ってたんですよ。でもドレスアップ系です。車歴的にはトゥデイを10台は乗り継いでいます。いまもそうなんですが、鈑金以外はすべて自分でやってます」。

 その時点ではサーキットやレースにはあまり興味のなかった平木さんを、ホンダオート岡山販売の近藤さんが無理やり誘ったのがすべてのはじまり。レースデビューの結果は最下位で、しかもエンジンが壊れたとか。

「いま思えば、すべて近藤さんの策略だったのではと疑ってます。壊れたエンジンを近藤さんに教えてもらいながら自分で修理しました。いろいろと助けてもらっていますし、尊敬はしていますが、教えてくれるだけで何もやってくれないので、近藤さんとボクは“同じ穴のムジナ”だと思ってます(笑)。そこからレースに出まくって、着々と順位を上げて、いまではNAで敵なしになりました!!」。

 2号機はターボではなくNAのまま。E07AエンジンはPGM-FI(プログラムド フューエル インジェクション)といって電子制御式のインジェクションがMTRECと並ぶ売り。なのだが、平木さんのトゥデイはなんとキャブレター化。エンジン内部はホンダオート岡山スペシャルに仕立てて、自作したインマニに、スズキGSX-RヨシムラTMRキャブレター(バイク用)を装着。駆動系にはOS技研のクラッチ、ATS製のLSDなど岡山とゆかりのあるブランドをチョイスしているのも面白い。

悪ノリとロマンの塊

 ふと何でトゥデイをキャブ化するまでイジっているのか、を聞いてみたら「愚問ですよ」「ロマンです(笑)」と一蹴。

 表現こそ極端かもしれないが、インジェクターからキャブにしたのは、電子やCPUへの平木さんならではの反骨心。数字の羅列では得られないロマンがそこにはあるからだ。結果として仮にセッティングがバチッと決まっても、インジェクターのときよりパワーはダウンしているかもしれない。だとしても「そんなに甘くはなかった」という事実も含め、それが平木流のトゥデイと付き合う“悪ノリ”の美学。これこそホンダオート岡山2号機を名乗る矜持である。

 平木さんの2号機、フロントだけに装備されていたエアジャッキをリアにもつけるという悪ノリを追加。車体をジャッキアップする際、“プシュ~”とやれば数秒で一気に上るアレだ。「これで、フロントもリアも完全にジャッキアップするようになりました」。

 さらなるアップデートは後付メーターの充実。いまとなっては新品では手に入らない“デフィリンクディスプレイ”をインストール。「ネットオークションにて高値で取引されているものを入手しました。歳をとると、走行中は針のメーターがよく見えなくて……(笑)」。

 ちなみに平木さん、「解体魂」というチャンネルで動画を公開しているそう。岡山国際や中山サーキットでシビックやインテグラを追いまわし、道を譲らせるシーンが見られるという。車載カメラに映る、スーパーGTマシンのようなコクピットもぜひご覧いただきたい。

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