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旧車も軒並みカッコイイとは! いまも昔もイケてる歴代マツダ車の衝撃デザイン

4ドアセダンに流麗なスタイリングを与えた

 デザインというのは難しいもので、流行だけでなく、国民性が反映されるものだし、クルマの場合は機能による制約もあるので、限られた中でどうまとめるのかもデザイナーの力量だったりする。このデザイン、日本人にとっては苦手とされる分野で、逆に芸術の国、イタリア人は長けていて、多くのカロッツェリア(自動車デザイン工房)が存在するのはご存知の通りだ。

 日本車の場合、デザイン以前の問題で、乗用車で見ると産業として勃興してきたのが実質終戦後であり、模索の時代が続いたのも事実だ。そこで採られたのが、海外カロッツェリアへの発注。現在では、デザイナーのグローバル化が進み、イタリアのカロッツェリアは無くなっているし、活動しているところもイタリア人は少なくなっているが、その昔はありがたい存在だった。精神的にありがたいだけでなく、今振り返ってみると、ラインの取り方など、新鮮だしアカ抜けているデザインはやはり多い。

 現在「魂動デザイン」を打ち上げているマツダはどうだったか? 当初はカロッツェリアに頼んでいるものの、他メーカーに比べると少ない。実際のところは、日本メーカーの傾向として公表したがらないのもあるが、市販車でいうとルーチェのみ。ベルトーネ時代のジウジアーロ氏が担当し、伸びやかなボディラインとピラーまわりのAラインと呼ばれるスタイルは、今見てもじつに斬新だ。

 マツダはベルトーネとの関係が深く、初の普通車であるファミリアについてもセダンとクーペのデザインをベルトーネに発注をしている。

 市販されたものは日産の410型ブルーバード(ジウジアーロデザイン)にかなり似ていて、ベルトーネのスケッチが採用されていると言われることもあるが、実際は社内デザイナー育成もあり、入社したばかりのデザイナーが担当したものだ。

 そのほか、コンセプトカーではMX81もベルトーネが手がけていて、こちらもイタリアンデザインが色濃く出た秀作だ。ただ、海外カロッツェリアに依頼したのはこの程度。

 NAGAREコンセプトを担当したオランダ人のアッカー氏がデザイン本部長に就任したり、RX-8も外国人デザイナーが関係しているが、社員デザイナーとしてだ。

マツダは社内デザインにこだわっていた

 マツダのデザインで特徴的なのは、日本人デザイナーの起用、重用を早くから行っていたということがある。ファミリアのセダンとクーペはベルトーネにも依頼はしつつも、バンは外部の日本人デザイナー、小杉二郎氏に依頼。

 小杉氏は戦時中から活躍した工業デザイナーの第一人者で、ファミリア以降もR360クーペ、K360、キャロルなど。そしてユニークな顔つきのトラック、ロンパーも彼の作品だ。

 単なるデザイナーとしてマツダの仕事を手がけただけでなく、アドバイザー的なこともしていたようだ。また、そもそも優秀な日本人デザイナーが集まってきたのも注目で、たとえば伝説のコスモスポーツは今見ても宇宙船のようなデザインに驚かされる。担当したのは小林平治氏。

 彼のスケッチ集『マツダ伝説』はコスモスポーツにつながるもので、火星をコスモスポーツで走ったり、宇宙人に会ったりと、常人にはわからない難解なもの。会社にはめったに来なかったというし、マツダもしばらくして辞めている。

 また現在、魂動デザインを牽引する前田育男氏の父は初代RX-7のデザインを担当し、デザイン本部長まで務めている。同じRX-7だと、流麗なラインを取り入れたデザインは社内デザインだ。脈々伝わる、マツダデザインの流れを簡単に紹介したが、当初から日本人、そして社内デザインにこだわっていたことがわかる。

 その結果が、魂動デザインに結実していると言ってよく、もし海外依存度が高かったら、現在のマツダデザインは違った方向に行っていたかもしれない。

 もちろん、カロッツェリア依存が悪いわけではない。というのも今や社内の担当は外国人デザイナーだからだ。依頼はひとつの手法として大いにありだったし、クローバルに展開する大規模メーカーであれば、カロッツェリアならではのワールドスタンダードなデザインを採用するのもあるだろう。

 ただ、マツダの立ち位置として、デザインのみならず、技術面においても他社と同じことをしていてもダメというのはあるだろうし、それゆえの自社デザインへのこだわりだろう。

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