数え切れないほどのドライバーを育てたコース
2014年9月15日で営業を終了した、仙台ハイランドレースウェイ。「峠のような」と形容される、全国でも屈指のテクニカルさで、プロからアマチュアまで多くのドライバーを虜にした。現在も復活を願う声が絶えないほど愛されたサーキットの魅力を振り返ってみたい。
激しいアップダウンと難易度が高いコーナーの連続、タイヤのマネージメントに手こずる荒れた路面、そして天気予報があまりアテにならない空模様。全長が4000mを超える仙台ハイランドレースウェイは、国内でも屈指の難コースとしてオープン当初から有名だった。
グループA/N1耐久(後のスーパー耐久)/JTCC/全日本GT選手権(後のスーパーGT)/全日本F3を筆頭とする公式レースが開催され、モータースポーツ史に刻まれる数々のドラマや名勝負を生んだ『史跡』でもある。
コーナー数が異様に多くストレートが短い、つまりパワー差が出にくいサーキットとしても知られ、ドライバーにとっては非常に攻略し甲斐のあるコースなのだ。なお日本が世界に誇るスポーツカー、R35・GT-Rの主要な開発ステージが仙台ハイランドであったことは、多くの自動車ファンによく知られている。
さらに1990年代は全国で草レースが盛り上がった時期で、仙台ハイランドも例に漏れず毎週のようにイベントが開催され、地元のみならず全国からウデ自慢のサンデーレーサーが集結、そこを出発点として公式レースに進んだドライバーも多い。
中心となるのはレーシングコースだが、他にも日本で唯一の1/4マイルを計測できる常設ドラッグコース、全日本選手権も行なわれたジムカーナ場にダートラ場、そしてカート場とモータースポーツ好きの楽園と呼ぶべき存在だった。
料金のリーズナブルさも公式レースが開催されるサーキットとしては異例で、ピットなどの設備が古いことも「安いんだからコレでいいんだよ」と、来場者の大半が好意的に受け止めていたと記憶している。
敷居の低さは料金だけじゃなくスタッフも同様、クラッシュしたときの修理代から受付での応対ひとつまで、走る人の立場を考え何ごとも親身になってくれていた。
震災、爆弾低気圧、そしてメガソーラーの建設
2011年の東日本大震災では半壊レベル以上のダメージを受けて、翌2012年にも爆弾低気圧で甚大な被害を受けたが、利用する側が募金活動や復旧作業のボランティアを自発的におこない、二度に渡って不死鳥のごとき復活を果たしたのだ。
ところが2014年になり絶望的なニュースが突如飛び込んでくる。サーキットを閉鎖しメガソーラー施設を建設するというのだ。一般のドライバーやプロドライバー、地元プロショップらが猛然と反対したが決定は覆らず、2014年9月15日を以って仙台ハイランドの灯は消えてしまう。
その後はサーキットの路面と思われるアスファルトを不法投棄したとして、工事の関係者が廃棄物処理法違反で逮捕される事件も起きた。ちなみに現在はコントロールタワーなど施設が撤去され、メガソーラーの建設が着々と進んでいると聞く。
このような閉鎖後のドタバタ劇もかつてのファンに忸怩たる思いを抱かせ、未練を引きずらせている理由のひとつであろう。数え切れないほどのドライバーを育てた仙台ハイランド、今はもはや跡地に立つことすらできないが、そこで作った思い出や学んだテクニック、仲間との絆は決して色褪せないし消えることもない。