手間隙かけたからこその愛車だった
自動車メーカーが力を入れてきた、クルマの進化のひとつがメンテナンスフリー化だ。クルマを維持するのに手間と費用がかからず、乗りっぱなしにできるというのは理想で、完全メンテフリーは無理にしても、それに近づいてきてはいる。
逆を言えば、その昔はクルマはメンテナンスをして維持するというのが当たり前で、メンテしないと調子が崩れるだけでなく、壊れることすらあった。1970年前後を中心に、昔のメンテについて振り返ってみよう。
まさに潤滑油がものごとをナメラカニ
まず基本中の基本であるオイル交換はどうだったかというと、エンジンに気を使うなら3000km/3カ月毎で、普通でも5000km/半年ごとには交換をしたものだ。もちろんオイルの性能はあまり高くなく、化学合成油なんて夢のまた夢。だからモービル1のCMが衝撃だったわけだ。
そのほかの部分でもMT全盛なのでミッションオイル、FRが当たり前なのでデフオイルなどもマメに交換する必要があって、ちなみに怠ると入りが悪くなったり、バックラッシュが増えてアクセルのオンオフでコトコト音が出たりすることも。最悪の場合、オーバーホールとなるので、やはり日頃のメンテは大切だった。ちなみにオーバーホールという言葉自体も珍しくはなく、昔はよく聞いたものだ。
そのほか、今でも消耗品として残っているパーツでいうと、スパークプラグも昔はマメに点検して、汚れていれば磨いたり、電極が広がっていれば規定値に調整。もったいないし、高いのでおいそれとは新品に交換しなかった。また冷却水も今では16万km後に交換など超ロングライフ化が進んでいるが、車検毎に交換するのは当たり前で、それでもエンジン内部でサビが出たりするから気は抜けなかった。
エンジンの息吹も自分なりにキャブやディストリビューターで
そして、今ではやらなくなったものの代表格が、まずキャブ調整だろう。バイクでは最近まで使われていたので絶滅ということはないが、季節毎にアイドリングを調整する必要があった。
理由としては、気温によって空気中の酸素濃度が変わったりするからで、夏はクーラーの負荷もかかるので高めにしてエンストを防止。またツインのように複数のキャブが付く場合は、それぞれのバランスが崩れることがあるので、定期的に同調を取る必要があった。
ちなみにシングルキャブの調整は音や回転数を元にできるが、複数の同調は専用の測定ツールがないと無理となる。
キャブ調整とともにもうひとつ、定期的に調整する必要がいくつかあって、そのひとつがバルブクリアランスだ。頻繁に行なう必要はなかったものの、エンジンからのカチカチ音が大きくなるとヘッドカバーを開けてカムとバルブのすき間を調整する必要があった。多くはネジ式なので、方法自体は難しくないが、すき間がどれぐらいかは勘に頼ることもあって、手間は掛かった。
点火系での調整は、ディストリビューターの中にある点火ポイントのすき間で、プラグで火花を適正に飛ばすために必要だったが、1970年代前半には必要なくなったものの、プラグキャップや内部のローターの定期点検と交換は2000年ごろまで、一部の車種には残っていた。
そのほか、1970年代前半あたりまで残っていたのが、足まわりのグリースアップ。サスペンションは複数のアームをジョイントでつなげているが、この部分の潤滑のためにグリースを入れる必要があり、専用のグリースガンで定期的に注入することでスムースな動きを確保し、ガタを防止していた。今でも建設機械やトラックなどに一部残っているメンテナンス項目となる。
このように、とにかくメンテナンスが必要なポイントは多かった。どんどんと減ったのは進化のおかげだが、手をかけてやればやっただけ好調になったし、愛着も湧いたもの。メンテフリー化は歓迎だが、少々寂しい気もして胸中複雑な感じだ。