広がりを見せ始めた 青木拓磨やウェイン・レイニーが走ったシステム
1998年に2輪GPマシンのテスト中の事故によって脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされて4輪ドライバーに転向した青木拓磨選手。だが昨年、「Takuma Ride Again」と題して「鈴鹿8耐」のレース直前とMotoGP日本グランプリのレースウィークに、青木拓磨選手の兄・宣篤、弟・治親とともに「青木3兄弟」が一緒に走行した。
さらには「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」で、車いす生活を送ることになったウェイン・レイニーも同じシステムを組んだバイクで、USレジェンドのケニー・ロバーツ、エディ・ローソンとともに4人で鈴鹿を走行している。
いま青木拓磨選手と同じように、オートバイに乗る趣味を一緒に楽しんで行ける取り組みが広がりを見せている。そのとして一般社団法人SSP (Said Stand Project)を青木宣篤&治親兄弟が立ち上げた 。障がいを抱えてしまって、一度は2輪車の運転を諦めた人に再びオートバイを運転することを楽しめるように応援する非営利支援団体である。
生方さんは国際A級ライダーとして活躍していたが1992年の鈴鹿サーキットでの事故で、また野口さんは26歳の時に仕事中の事故で車いす生活となっている。ともにバイク経験があり「Takuma Ride Again」の活動も知っていたが「30代の頃だったらオレも走りたいってなっただろうけど、客観的にしか見られなかった(生方さん)」「あのスピードで走行する拓磨選手はクレイジーだ(野口さん)」と、別世界としか見られなかった。