70年代にはクーペはまさに百花繚乱
国内経済が高度成長期から安定成長期へと切り替わっていった1970年代。それまでの高度成長期に蓄えられた資本と、磨かれた技術を活かして後世に語り継がれるような名車、今振り返っても惚れ惚れするような素晴らしいクルマたちが数多く登場しています。
それは機械的なメカニズム面だけでなくデザイン面でも同様でした。60年代のクルマといえば2ドアか4ドアの3ボックス・セダンが通例となっていましたが、70年代に入ると各メーカーから流麗なルーフラインを持った美しいクーペ・モデルも多く登場するようになっていきました。
今回は、70年代に登場した流麗なクーペ・モデルを振り返って紹介して行くことにしましょう。
ノッチバッククーペとファストバッククーペを揃えていたトヨタ セリカ
国内トップメーカーとなっていたトヨタでは、60年代にクラウンやコロナに2ドアハードトップが登場していますが、これらはクーペと言うよりもハードトップの範疇に入れるべきもの。そう考えるとトヨタのクーペとしてはセリカ=70年に登場した初代モデルのTA20系がパイオニアとなります。
さらに73年にはリアゲートを持ったリフトバック(LB)もラインナップに加えられますが、こちらもクーペの範疇に入る1台。2ドアがノッチバッククーペなら、LBはファストバッククーペと呼ぶべきでしょうか。
60年代後半に登場したカローラにも初代モデルからスプリンターと呼ばれる2ドアクーペがラインナップされていて、2代目以降は別モデルとして独立しています。
さらにパブリカの後継モデル(当初は上級モデル)として73年に登場したスターレットは、当初は2ドアクーペのみでしたが、後に4ドアセダンが追加されました。これはトヨタのクーペとしては末弟と言ったところでしょうか。
ツインカム16バルブのスペシャルヘッドを組み込んだレース仕様が王者サニーを相手にツーリングカーレースで活躍。その“やんちゃぶり”は多くのファンの記憶に残っています。
火の鳥カラーのワークスレーシング仕様が強烈だった日産チェリー
日産のラインナップでも大小様々なクーペが名を連ねていました。
排気量の大きなモデルから紹介すると、先ずはフェアレディ240Z-Gが挙げられます。2シーターはクーペと言うよりもスポーツカーだ、との声も聞かれますが、それには4人乗りの2by2がラインナップされているということで反論しておきましょう。
初代GT-Rを含めてスカイラインの2ドアハードトップもクーペと呼ぶべきかは意見の分かれるところです。しかし日産自らがクーペと謳ったモデルもありました。その筆頭はブルーバードです。
70年代と言えば歴代屈指の名車とされる3代目ブルーバード(510系)ですが、コロナのハードトップに対抗する格好で68年には2ドアクーペがラインナップされていました。
ロングルーフでコッペパンのような、そう言えばクーペ(Coupe)の語源がコッペパンだとの説もあるようですが、それはともかくチェリークーペの中でも印象が最も強かったのはレース仕様。
日産のワークスカーで火の鳥を連想させるカラーリングが当時の中学生のレース小僧には突き刺さりました。
それぞれに持ち味がありキャラが立っていた三菱クーペ3兄弟
三菱にもクーペ・ブラザーズが用意されていました。
長兄は、何といってもギャランGTOです。69年に登場し三菱の主力車種となっていたギャランをベースにした、ひとクラス上のスペシャリティカーで、デザイン的にはファストバッククーペ。メカニズム的には、ベースとなったギャランにはない2Lツインカムを搭載したモデルも用意されていました。
GTOはGran Turismo Omologato(イタリア語でGTとして承認された、の意)の頭文字を連ねたもので、弟分として翌70年に登場したギャランクーペFTOはFresco Turismo Omologato(イタリア語でフレッシュなツーリングカーとして承認された、の意)から命名されていました。
そのFTOですが、こちらはギャランのクーペバージョンという立ち位置でした。FTO自体は短命でしたが、75年に後継のランサー・セレステが登場しています。こちらはギャランの後継となるランサーのクーペバージョンでした。
忘れてならないのが末弟のミニカ・スキッパーです。69年に登場していた2代目ミニカのクーペバージョンでしたがヘッドライトのディテールなどもGTOに倣ったデザインを採用、小粋なミニクーペとなっていました。
学生時代に後輩が、可愛い彼女と2人でツーリングに出かけるのを硬派な先輩として見送っていたのを思い出します。
華麗さは国産屈指だった真っ赤なマツダ コスモAP
流麗というよりも華麗なクーペと呼ぶべきモデルがマツダのコスモ。より正確に言うならコスモAPです。67年に登場した初代モデルは2シーターのスポーツカーでしたが、75年に登場したコスモAPはラグジュアリーなクーペに変身していました。
燃費で苦戦を強いられたロータリー・エンジン(RE)ですが、公害対策として排気ガスの浄化ではアドバンテージがあり、それを前面に押し出してAP(Anti Pollution=英語で汚染防止の意)のサブネームが追加されていました。最上級グレードのリミテッドにはRE最上位の13B型2ローター・エンジンが搭載されていました。
この他にもマツダはルーチェやカペラ、あるいはサバンナやファミリアなどにもロータリー・クーペをラインナップしていましたが、何よりもコスモAPの流麗なスタイルが印象に残っています。
宇佐美恵子が出演していたCMも素敵でした。しかし個人的には、大学の卒業を前に親友が当時付き合っていた彼女と最後の食事をした際、「今度はコスモに乗って迎えに行くから!」と言ったというエピソードも忘れられません。
もっとも、卒業して数年経ってから、彼から届いた年賀状には件の彼女とは違う名前の奥さんと連名で新年の挨拶が綴られていましたが…。青春の夢に憧れ、また青春の儚さを教えられた1台です。
真打ちの117だけでなくベレットや派生モデルにもクーペの名車が勢ぞろい
70年代のクーペで、と言うよりも国産のクーペで、真打ちと言えばやはりいすゞ117クーペでしょう。
大人4人が長距離ツーリングを楽しむ…。そんなイメージのクルマが、この117クーペです。トヨタのクラウンや日産のセドリック/グロリア、あるいは三菱のデボネアなどとは一線を画したいすゞの最上級サルーン、フローリアンをベースにした…と言っても時系列で言うなら同時に開発され、商品化はこちらの117クーペの方が先でしたが…2ドア/4座クーペです。
ルックスだけでなくメカニズム的にも先進の気風があり、1970年に追加設定されたECはボッシュ製の電子制御式インジェクションを、国産として最初に採用したモデルとなりました。また当初からいすゞとして初のツインカムエンジンを搭載していたことでも知られています。
ただ個人的には国産アルファ・ロメオの呼び声の高いベレットの1600GT & GT-RやレーシングマシンのベレットR6クーペも見逃す訳にはいきません。
またミッドシップ試作車のベレットMXも忘れられないクーペとなっています。