日産の量産乗用車第1号はお洒落なダットサン12型
先に紹介したように、日産自動車が誕生するまでには様々なドラマの展開がありました。それを踏まえて生産車第1号を考えるなら、やはり日産自動車が誕生した1934年、あるいは前身となった自動車製造会社が誕生した33年当時に生産されていたクルマ=ダットサン12型が、日産初の生産車と呼ぶに相応しい気がします。
実際、座間にある日産ヘリテージコレクションにはベージュのツートンに塗り分けられたお洒落なダットサン12型のフェートンが収蔵展示されていますが、その説明パネルには『…日産最古のモデルでヘリテージコレクションの中でも最古のクルマ…』と記されています。
ちなみに、現車としてはこのダットサン12型フェートンが最も古いクルマとなっていますが、以前取材した際にはエントランスホールにゴルハム式の3輪車や4輪車、あるいはその発展モデルであるリラー号、3台のスケールモデルも展示してありました。
話をダットサン12型フェートンに戻して、そのメカニズムについても簡単に紹介しておきましょう。748㏄のエンジンはサイドバルブ式ながら水冷の直列4気筒で最高出力は12馬力。前後のサスペンションはリーフで吊ったリジッドで、ロッド式ながら前後にドラムブレーキを装着する、当時としてはなかなかレベルの高いパッケージだったように見受けられます。
戦後登場した110系ダットサンはブルーバードへと発展
日産最古の生産車がダットサン12型だったことは間違いありませんが、現在の日産自動車に続く戦後最初のモデル、110系のダットサン・セダンも合わせて紹介しておきましょう。
戦後初の乗用車としてはDA型のダットサン・スタンダードセダンがありました。ただ戦後型とはいってもエンジンやシャシーは戦前のモデルを踏襲していたので、完全な戦後モデルという訳ではありませんでした。また終戦後はGHQの指導によって、しばらく乗用車の生産は途絶えており、この遅れを取り戻すために日産では英国のオースチンと技術提携し、サマーセット・サルーンをノックダウンしていました。
そして1955年に完全な戦後型となる110系のダットサン・セダンが登場しています。これは57年に登場する210系を経て1959年に310系の初代ブルーバードへと続く大きな流れとなっていくのです。
そんな110系のダットサン・セダンですが、メカニズム的にはコンサバでした。サイドバルブ式水冷直4のエンジンは860㏄で、戦前のダットサン12型に比べると100㏄あまり排気量を拡大していただけですが、最高出力は25馬力と倍以上にパワーアップしていました。総てのボディパネルがプレス成形されており、デザインがモダンになったことが大きな特徴で、権威ある毎日工業デザイン賞を受賞しています。