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街にはじつは使いにくい「バリアフリーもどき」が散見! 本当に社会が必要とするものとは

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: Auto Messe Web編集部

バリアフリーはみんなのため 

 優先席に、若い人が腰かけていると白い目で見たり、優先席が空いているのに若い人が座れない心持になったりすることの方が不自然だ。逆に、優先席に座りながらぐっすり寝込んでいるのも、無神経といわざるを得ない。公共の場という意識の欠如だ。


 本来であれば、どの席でも空いていれば自由に座ってよく、多少の居眠りはしても、気配を感じたら目を開け、障害のある人や高齢者、妊娠した女性などが居たら躊躇せず席を立って譲るべきだろう。譲られた人も、まだ自分は若いと思っても「ありがとう」といって座ればよい。すぐ降りるのであれば、そういって断ればよい。

 こうした教えは、子供のころの躾によって身に着く習慣だ。日本は、ことに戦時中に偏った全体主義的な教えから戦後に個人主義へと大きく振れ、個人が自由に生きる権利だけが取り上げられてきた。しかし、自由に生きるには、義務も同じように付随してくるのが社会であり、そこを両輪として教えられずに来た不幸がある。

 自分勝手に生き、周りの人々が不幸になったのでは、本末転倒だ。自己実現を目指すなら、周りの人々と快適に暮らせることが前提であり、それなくして自己実現はあり得ないのである。古くから「情けは人の為ならず」の言葉がある。これは、人に情けを掛けるのは、人助けをする意味だけでなく、いずれ自分も人に助けられるようになることをいっている。

 その視点に立てば、バリアフリーの施設の設置では、障害を持つ人や高齢者の気持ちになって、単に一つの施設や工事の改善にとどまらず、利用する際に不便が無いかまで広く考える目線が生まれるはずである。のちに自分が歳を重ねたとき、そうした施設や社会であることの有難味を実感するだろう。


 欧米では、戦後もそうした教育が続けられているので、当たり前のように席を譲るし、車椅子で乗車する場所が設けられていない車内であれば、人が場所を移動して余裕をつくる。それは、ベビーカーを伴う親が乗車しても同じだ。駐車場では、車椅子の場所が空いていなくても、周りにいる人が自分のクルマを移動させたり、乗降を手伝ったりする。だから、必ずしもバリアフリーの施設づくりが十分でなくても、人が助け合い、補っている。


 トヨタで福祉車両を開発する責任者は「福祉車両をいくら充実させても、事足りるということはありません。あわせて、世の中の人々が互いに助け合い、自然に手を差し伸べる社会になってもらうことを願います」と語る。

 実は、物づくり、箱物づくりより、日本人の他人を思う心の広さ、心のバリアフリーが先なのだと思う。

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