オリジナルの技術を追求 オートバイから始まり はやくもF1GPを制す
国内乗用車メーカーの歴史では最も若く、母体企業まで含めて唯一となる、戦後生まれのメーカーが本田技研工業(以下ホンダ)です。
創業社長は本田宗一郎。ホンダは同様に、戦後生まれのソニーとともにアプレゲールの大企業としても知られていますが、そのソニーを盛田誠一郎と共同で立ち上げた井深大と宗一郎は、個人的にも親交が深かったようです。
宗一郎は、終戦から1年余りたった1946年9月に、内燃機関の研究と製作を目的として本田技術研究所を立ち上げています。そこで戦時中に使用されていた通信機(の発電機)用のエンジンを、自転車の補助動力として使う“バタバタ”を発案し、その大ヒットによって2輪車メーカーとしての第一歩を踏み出します。
その勢いを継続し、48年9月に本田技術研究所を改組してホンダが誕生しています。まずは2輪車メーカーとして成長したホンダは、やがて4輪に進出すると、レースの最高峰であるF1GPにも挑戦しています。4輪メーカーとしてはよちよち歩きを始めたばかりでしたが、65年にはF1初優勝を飾っています。
“特振法”に備え急ピッチで開発された4輪車
創業から10年足らずの1955年には2輪車の生産台数で日本一となったホンダは、宗一郎の夢の一つでもあった4輪進出を考えるようになりました。
しかしその行く手に待ったをかけるような事態が出てきました。それが通商産業省(当時)が国会に提出した特定産業振興臨時措置法(案)、いわゆる“特振法(案)”でした。
これは自由化によって海外のメーカーが国内に進出してくる前に、国内メーカーを数社に統合して競争力を高めるために、新たなメーカーの4輪進出を阻もうというものでした。この法案が成立すると、まだ2輪車メーカーでしかなかったホンダにとっては4輪進出ができなくなるのです。
宗一郎は猛反対で、毎日のように役所に詰め掛けて膝談判をしながら、その一方でホンダでは、4輪車の開発が急ピッチで進められることになりました。ちなみに、特定産業振興臨時措置法(案)は国会を通過・成立されることなく廃案となってしまいます。
こうして出来上がったクルマがオープン2シーターのホンダS360とS500でした。ともにツインカムの直列4気筒エンジンを搭載し、S360は33馬力、S500は40馬力の最高出力を発生していました。
当時、軽のトップセラーだったスバル360が18馬力、小型乗用車のブルーバード1000でも34馬力に過ぎませんでしたから、これはもう常識破りの高性能でした。62年の秋に開催された第9回全日本自動車ショー(東京モーターショーの前身)に市販予定車、いわゆるコンセプトモデルとして出展された2台のスポーツカーはとても大きな反響を巻き起こすことになりました。
しかし実際にはS360が商品化されることはなく、S500が翌63年の10月に上市され、64年の年初からデリバリーが始まりました。ただしこれがホンダ初の市販車ではありませんでした。
直4ツインカムをミッドシップに搭載したスポーツトラック
実は、62年の第9回全日本自動車ショーには、S360/S500とともに1台の軽トラックが出展されていました。これが翌63年の8月に、ホンダ初の市販車として上市されるT360(のコンセプトモデル)でした。
軽トラックといっても、F1GPを戦うようになっていくホンダだけに、そのパッケージは斬新でした。S360と基本設計を同じくする直4ツインカムのAK250Eエンジンは30馬力を8500回転で発生する、まさにスポーツカー用のエンジンで、しかもそれをフロントシートの下部から後方に搭載するミッドシップ(アンダーフロア)マウントを採用。
サスペンションもフロントがマクファーソン・ストラット、リアがリーフ・リジッドで、それがトラックに相応しいかは別にして、クルマとしては充分にコンベンショナルなパッケージとなっていました。
初の量販車となったN360と、現在に通じるパッケージのライフ
T360に遅れてT500やS500が販売開始となり、さらにライトバンのL700/L800、ピックアップトラックのP700/800などが続々と登場してきます。そして本格的な量販車となったのは66年の東京モーターショーで発表され、翌67年3月に発売開始となったN360でした。
これは2輪車のCB450に搭載されたエンジンをベースに開発された空冷の直列2気筒エンジンをフロントに横置き搭載した前輪駆動で、それまでの直4ツインカムのファミリーとは一線を画した基本設計を採用していました。そして発売が開始されるや一気に人気が高まり、それまで軽乗用車のトップセラーだったスバル360から王座を奪うと、71年までトップの座をほぼ独走。総計65万台を超えるロングヒット商品となり、4輪メーカーとしてのホンダの、基礎固めをすることになりました。
そのNシリーズの後継として71年5月に登場した軽乗用車がライフでした。直4ツインカム、空冷2気筒FF、そして1300シリーズに次いで、ホンダとしては第4世代となるライフですが、水冷エンジン+トランスミッションをフロントに横置き搭載して前輪を駆動する、俗にいうダンテ・ジアコーサ式は現在のホンダ各車にも通じる基本レイアウト。
何よりも高回転で絞り出した最高出力をアピールしていたそれまでのモデルとは一転、NVHを重視する、言うならば乗用車らしい乗用車へとコンセプトを展開したことが大きな特徴でした。
もちろん、現在でもNSXのようなスーパースポーツをラインナップし、シビックにはハイパフォーマンスを追求したタイプRが設定されるなど、ホンダらしさはそこここに感じられますが、乗用車メーカーとしての基礎を確立したライフは、ホンダの商品リストの中で、決して見過ごすことができない重要な1台となっています。