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日本車きっての宇宙船デザイン! 偉大すぎるマツダ・コスモスポーツは中身も「未来」だった 

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: マツダ、アウディ、Auto Messe Web編集部

60年代から「人馬一体」の運転感覚をもたらした

 2台で参戦したコスモスポーツは、初挑戦で総合4位の成績を残した。翌69年は、小型車のロータリークーペでマラソン・デ・ラ・ルート参戦と、ベルギーのスパ24時間レースへの参戦となった。スパではポルシェに次ぐ成績を残すなど、ロータリーエンジンの優秀さを欧州でいかんなく発揮させたマツダの存在は、日本の自動車メーカーの誇りの一つでもあろう。こうした経緯もあり、欧州でマツダの浸透はほかの日本車より高かったといえる。

 マツダは、NSUと1961年に契約を交わしてロータリーエンジンの開発をはじめた。そして6年後にコスモスポーツとして結実するのである。

 10A型といわれたロータリーエンジンは、2つ組み合わせた2ローターで、1ローターの排気量は491ccだった。したがって総排気量は982cc、すなわち約1リッターである。それで最高出力は110馬力であったから、相当な高性能エンジンといえる。

 なぜなら、コスモスポーツに次いで68年に発売されたロータリークーペはコスモスポーツと同じエンジン形式ながらやや馬力を落とした100馬力であったものの、66年に相次いで発売された大衆車の日産サニーやトヨタ・カローラとロータリークーペはほぼ同じ車体寸法で、サニーは1リッターエンジン、カローラは1.1リッターエンジンを搭載したが、それらの最高出力は60〜70馬力前後であったからだ。ちなみに、サニークーペの1.4リッターエンジンでも最高出力は85馬力だった。

 NSUとマツダによって開発されたばかりのロータリーエンジンが、すでに80年の歴史を積み上げていたレシプロエンジンに対し簡単に最高出力で超えてみせたのである。

 しかも、ロータリーエンジンは小型かつ低重心であり、この特徴を活かしたコスモスポーツは、のちにいわれるフロントミッドシップに搭載された後輪駆動車である。フロントミッドシップという特徴は、RX-7でも採用される。

 サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンで、リアはド・ディオンアクスルと呼ばれる方式だった。これは、車軸式でありながら、デファレンシャルを分離することにより、タイヤの接地性を維持しつつバネ下重量を減らすのが狙いである。

 バネ下とはブレーキなど含めたタイヤ周辺の部分を指し、その重量を減らせば路面へのタイヤの追従性がよくなりグリップを維持できることに加え、タイヤの上下動が穏やかになって乗り心地も改善される。国内では、日産と合併する前のプリンスが、57年の初代スカイラインで採用していた。

 そのうえで、940kgというコスモスポーツの車両重量は、1トンを超えていたトヨタ2000GTより軽く、フロントミッドシップによる前後重量配分の適正化とあわせ、軽快さと、運転者の操作通りに進路を選ぶ、まさにその後マツダがロードスターを開発して以来愛用する「人馬一体」の運転感覚をもたらしたのである。

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