国内から世界へ 「CABIN→MILD SEVEN」と発展した日本の「JT」
海外ブランドだけでなく国産のタバコブランド、CABIN(JT)も見事な活躍を見せていました。日本専売公社のたばこ事業を引き継いだ日本たばこ産業株式会社が誕生したのは1985年のこと。そしてその翌年、CABIN RACINGが誕生しています。
先ずは松本恵二をメインキャラクターに選び、彼が参戦していた全日本F2選手権と富士グランチャンピオン(GC)の両シリーズにフルカラーリングの車両を投入。バブル景気華やかな社会環境もあり両カテゴリーを合わせて活動予算は2億円とも伝えられ、国内モータースポーツ史上、それまでに例を見ない高額のスポンサーフィーとなりました。
車両の購入費用やレース参戦経費だけでなくプロモーションにも大きな予算が組まれていて、国内レース界のプロモーション事情を一気にかさ上げすることになりました。
90年には星野一義、91年には片山右京を擁して2年連続で全日本F3000選手権を制したCABIN RACINGは、翌92年からは片山とともにF1GPへとステップアップ。ヴェンチュリー・ラルースを皮切りに93年にはティレルに移り、94年にはCABINからマイルドセブンへとブランドを変更。
さらにベネトンのタイトルスポンサーを担当してミハエル・シューマッハの初となるワールドチャンピオン獲得をサポートすることになりました。マイルドセブンイメージの水色ベースのカラーリングでした。
SUBARUとともにラリーで世界一に輝いた「555」
日本勢とジョイントして世界選手権で活躍したタバコブランドとしては、世界ラリー選手権(WRC)でSUBARUのタイトルスポンサーを務めた555(State Express 555=英・ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)も見逃せません。
70年の第10回日本アルペンラリーで始まったSUBARUのラリーチャレンジは、サファリラリーへのスポット参戦を経てWRCへの本格参戦へと駒を進めます。88年に誕生したスバルテクニカインターナショナル(STI)が主導し英国のプロドライブでレガシィをラリー車両に仕立て上げて参戦を開始し、93年からはタイトルスポンサーに555を迎えています。
93年のニュージーランドでレガシィが念願の初優勝を飾ると、次戦となった1000湖(現ラリー・フィンランド)で満を持してインプレッサが登場。トップコンテンダーとして活躍を続け、95年から97年にかけては3年連続でマニュファクチャラー・チャンピオンに輝いています。
ちなみに、スバリスタと呼ばれる熱狂的なファンがご自慢のSUBARUで、ナンバープレートに555を希望するケースが多いようで、希望ナンバー制において555は、抽選によって配布されるナンバーとなっています。