初優勝を挙げる戦闘力の高さを示していた
日本では、JTC(全日本ツーリングカー選手権)が3シーズン目を迎えた段階で、全体の流れとしては三菱スタリオンターボとスカイラインRSターボが主導権を握り、トヨタ・スープラが新顔として登場する状況だったが、トランピオ・チームが3月の緒戦(西日本)からシエラRSコスワースを購入して投入。WTC以外では最もデリバーリーの早いシエラの1台で、6月の第2戦(西仙台)では2位、続く8月の第3戦(筑波)では初優勝を挙げる戦闘力の高さを示していた。
さらに第5戦、WTCの1戦ともなった11月の富士インターTECでは、フォードワークスのシエラRS500が3台来日。黒地に赤のテキサコカラーが精悍な印象の車両で、実力どおりにクラウス・ルードビッヒ/クラウス・ニーツビーツ組が優勝を果たしたが、なんと2位にはワークス勢を退け、日本勢のトランピオ・シエラ、長坂尚樹/アンディ・ロウズ組が30秒差で食い込む健闘を見せていた。
ちなみにこれ以外の日本車勢は、3周遅れ総合9位のスープラが最上位だったから、いかにシエラが強かったか推測できるだろう。
ちなみにトランピオ・シエラ、このインターTECで車両をRS500に変更。続くJTC最終戦の鈴鹿戦でも優勝を果たし、長坂尚樹がシリーズタイトルを獲得した。
こうしたシエラの強さを目の当たりにしたいくつかのプライベーターは、翌1988年シーズンからシエラ乗り替え、常に4〜5台が参戦する状態になっていた。
この年はスカイラインGTS-Rが新たに参戦し、序盤2戦で優勝する活躍を見せたが、第3戦以降はシエラが4連勝を飾り、3勝を挙げた横島久がタイトルを獲得。
翌1989年は、ワークス体制で臨むスカイラインGTS-Rとの一騎打ちになったが、さすがにワークスの力は侮りがたく、シリーズタイトルは長谷見昌弘のリーボックスカイラインが獲得する流れとなった。
それでも、プライベーターがワークスと互角の勝負を展開できる車両としてフォード・シエラRS500は存在価値を持っていたが、1990年、スカイラインGT-Rが登場するにおよび、さすがに戦闘力差は鮮明となり、1台また1台とJTC戦から撤退。ちなみにヨーロッパでは、すでにグループA規定は終了。フォード・シエラの活躍の場は失われ、新たにクラス2ツーリングカー規定が始まろうとする時期だった。
なお、JTC戦で活躍したフォード・シエラの大半はアンディ・ロウズ製で、ワークス仕様に準じるエッゲンバーガー製は、トランピオのほかあと1台が存在するのみだったと記憶する。