4代目キャリイ(1969-1972年)
「韋駄天キャリイ」のキャッチコピーでデビューした4代目キャリイは、世界的な名車を手がけたジョルジェット・ジウジアーロがデザインを担当したことで知られている。ヘッドライトは丸型から当時では珍しい角型となり、フロントグリルを採用することでシャープな表情を作り出している。
ちなみにジウジアーロの真価が発揮されているのは、リアゲートの上部を傾斜させて真横から見たら左右対称にも見える4人乗りのバン。その代わりに積載スペースがライバル車よりも狭くなり、不評に終わった。
荷台は3代目と同じく一方開きと三方開きを用意し、用途に合わせて選択できた。また新たなグレードとして、「スーパーデラックス」が追加されたのも特徴。キャブを黒いラインモールで装飾し、シガーライターやラジオなどの快適装備を充実させて「最高級キャブ」と謳っていた。マイナーチェンジ後のモデルはグリルの意匠を変更したほか、内装パネルにメープルウッドを採用して軽トラらしからぬ上質さを演出していた。
エンジンは低速域でのトルクを高めるリードバルブを採用し、高速での伸びもアップ。最高出力は4PS、最大トルクは0.3kg・m向上した。なお1970年にデビューした初代ジムニーは、このキャリイと同じエンジンとトランスミッションが用いられている。
5代目キャリイ(1972-1976年)
1972年に登場した5代目キャリイは、「力のキャリイ」というキャッチコピーが示すように、パワフルさをウリとしていた。エンジンは2気筒のままとしながら、空冷から水冷に変更。冷却性能が向上し、静粛性が上がるなどのメリットがあった。主に低速から中速域での性能を重視した設計で街中での使い勝手が良く、冷却性能が上がったことにより長時間の連続走行にも耐えるようになった。
そして当時の軽トラックとしては最大である登坂力21°も、「力のキャリイ」の大きなアピールポイントであった。ミッションはコラム式からフロア式に変更され、操作性が良くなった。
エクステリアは力強さを全面に押し出したデザインに変わり、ヘッドライトは角型から再び丸型に変更。フロントドアの三角窓は廃止され、開放感が増した。荷室スペースも広くなり、当時の軽トラでは最大級。1975年にはキャリイの生産台数が累計100万台を達成した。
1976年1月から軽自動車の規格が改定。ボディサイズが大きくなり、排気量も360ccから550ccに拡大。キャリイもその規格に合わせ、5代目をベースに550ccエンジンを搭載した「キャリイ55」を発売。当時の軽トラでは唯一の3気筒で、最大出力は26馬力。低・中速域での粘り強さがウリだった。しかし6代目にフルモデルチェンジする直前の「つなぎ」であったことから、販売期間はわずか4ヶ月と短命に終わる。
6代目キャリイ(1976-1979年)
軽自動車の規格改定に伴いフルモデルチェンジした6代目キャリイは、新たな規格に対応するべくボディサイズを大幅に拡大。「キャリイWide」という名称で親しまれた。先代と比べると全長160mm、全幅100mm広がったことで迫力が増し、室内空間も前後左右に広がってペダル操作がラクになった。
もちろん軽トラのキモとなる荷台も荷台長1940mm、荷台幅1315mmとひと回り大きくなっている。左ヘッドライト上には「キャリイWide」と書かれたエンブレムを装着し、その大きさをアピールしていた。
エンジンは先代のキャリイ55と同じ、2ストロークの水冷3気筒を搭載。トルクは5.3㎏・m/3000rpmと余裕があるため、出足から加速までスムーズ。登坂力は21.3°まで向上している。またトレッドは先代比+100mm広くなり、ホイールベースもプラス95㎜長くなったことで走行安定性も向上。
後期型はフロントグリルの意匠を変更し、ダミーではあるがバンと共通のグリルを採用して質の高い表情に仕上げている。ちなみにCMのイメージキャラクターは、今もお茶の間で大人気の西川きよし。7代目まで勤め上げた。
7代目キャリイ(1979-1985年)
基本設計をイチから見直した7代目キャリイは、1979年4月にデビュー。ヘッドライトは大きな丸型を採用。黒く縁取られたライトの枠とグリルにより、メリハリの効いた表情を作り出している。フロントバンパーは前期型だとスチールだったが、衝突安全性の観点から1982年のマイナーチェンジで初めて樹脂製に切り替えた。
快適性も見直し、運転席は当時の軽トラでは初となる前後60mmスライド機構を搭載。シートの間には便利なコンソールボックスを装備。メーターは無反射ガラスを採用して、視認性も良好だった。
エンジンはデビュー当初こそ2ストのみだったが、1981年7月に加速感が滑らかな4ストロークのF5A型エンジンを追加。このまま2ストと4ストを併売するカタチとなった。
また1981年9月には、副変速機付きのパートタイム4WD車を追加したのも7代目の大きな特徴である。さらに1983年には4WD車の一部にリミテッドスリップデフを装備し、ぬかるみや悪路などでの走破性を向上させた。登坂力は驚異の40.3°となる。そして7代目からはダンプトラックや保冷車など、特装車のラインアップを充実させた。
8代目キャリイ(1985-1991年)
角型のヘッドライトを採用するなど、表情がシャープになった8代目キャリイ。販売期間中の1987年には、国内でのキャリイ累計販売台数が200万台を達成している。この型から頭上空間に余裕があるハイルーフ車が設定された。また一部上級グレードはフロントにディスクブレーキを標準装備して制動力が向上。エンジンは先代と同じF5A型を搭載し、2WDと4WDからチョイスできた。
8代目はマイナーチェンジも多かった。まず1986年には5速MTを採用したモデルが追加され、快適なエアコン付き車も用意された。2ストローク車も継続して売られていたが、ついに販売終了となった。
1987年には歴代キャリイの中では唯一となる、スーパーチャージャーを搭載したモデルが登場。ちょうどこの年はライバルのダイハツ・ハイゼットや三菱・ミニキャブもスーパーチャージャー付きモデルを導入したが、その中でもキャリイは48馬力とクラス最高の出力を誇った。
1989年には大幅なマイナーチェンジを実施。エンジンは3代目セルボから採用された、直列3気筒SOHC12バルブのF5B型に変更。スタイリングは少々プレーンな印象となり、ヘッドライトは角型以外にベーシックグレードのみ丸型を採用して、外観で見分けを付けられた。マツダからOEMのスクラムが発売されたのはこのモデルからだ。
そこからわずか1年足らずで、軽自動車の規格改定に伴い再びビッグマイナーチェンジ。新開発のF6Aエンジンを搭載して、排気量は現在のスタンダードとなる660ccに拡大。スーパーチャージャー付きモデルは廃止された。ヘッドライトは全グレード丸型で統一、バンパーの意匠変更で全長を伸ばして新規格に対応させた。