約60年ぶりに「マイバッハ」が復活
1941年にマイバッハが眠りについてから約60年後の2002年7月2日、遂に超高級車マイバッハが復活する。世界初の公開場所となったのはニューヨークだが、すでに1997年秋の東京モーターショーで「メルセデス・ベンツ・マイバッハ」と名づけられたプロトタイプが登場したのは周知のとおりだ。ボディは当初2種類あり、全長が5.723mmの「マイバッハ57」と、全長が6.165mmの「マイバッハ62」。つまり、モデル名は全長から由来している。エンジンはガソリンのV型12気筒で、排気量は5700cc。これに左右Vバンクそれぞれにターボチャジャーを備え、最高出力は550psを発揮。「メルセデス・アドバンスド・デザインセンター・ジャパン」の代表作としても有名だ。
そして2005年秋にはダイナミックな「57S」、2006年には「62S」が最高峰モデルとして追加。この「S」はスポーティのSではなく、スペシャルの意味。メルセデスAMG社から技術供与され、「One man One engine」のポリシーに基いてハンドメイドされる専用の6L V型12気筒ツインターボエンジンを搭載し612psを誇り、強化サスペンションを採用していた。
以前のマイバッハ同様に細部にわたってユーザーの希望に沿って受注生産され、1台1台手作業で造られた。日本では2002年9月17日からオーダーの受付が開始された。ユニークなのはその販売方法だ。商談から受注、納車、サポートのすべては「パーソナル・リエゾン・マネージャー」が専任で対応。世界で50名が在籍し、うち4名が日本国内のマイバッハ専任マネージャーだったと記憶している。日本での販売台数は、これまでわずか150台程度と言われている。
完全なオーダーメイドのクルマづくりを貫いた
マイバッハにはいわゆる標準仕様は存在しない。専用ボディカラーは17色あり、単色のほか2トーンも注文できた。内装もチェリーやウォールナットのほか、エキゾチックなアンボナイトも選べるウッドトリムは3種。そして最高級のグランドナッパレザーを中心にしたシート生地が6色と、多種多様な選択肢が用意された。
東京(六本木)など世界の主要都市に配置された当時のマイバッハセンターでは、内外装のサンプルを手に取って確認し、さらにカーデモンストレーターで完成車のイメージをじっくり確かめる事もできた。優雅さを演出する各種オプションを加えれば、世界で唯一のマイバッハが完成した。
注文を受けたマイバッハはドイツ本国・ジンデルフィンゲンの専用工場「マイバッハ・マニュファクチュアー」で熟練したマイスターの手によって生産される。当時、1台が完成までに約8カ月の期間を要するマイバッハは、約330人の職人が1日平均5台ペースで生産。特筆は1920年から続くクルマ造りの伝統が変わっていない事だ。
さて、気になるインテリアは鏡のように磨かれたウッドパネルと最高級グランドナッパレザーの組み合わせで、精巧かつ豪華な室内装飾は熟練した職人達の手造りで仕上げられた。ドアライニング中心の短起毛のヌパックレザーとも相まって、マイバッハに乗る喜びを肌で感じとることができる。
1台のマイバッハには、じつに8種類の最高級レザーが使用され、各部分にマッチした傷の無い最高品質の素材を、色調や表面の風合いを確かめながらステッチひとつひとつまで熟練工の手により入念に縫い合わせていく。「マイバッハ62」のルーフに、日本の障子をイメージした格子状の「液晶調光パノラミックガラスサンルーフ」が装備されたことも話題となった。
3825mmのホイールベースを存分に活かした広々した空間にゆったりと配置されたフルサポートリクライニングシートに座ると、まずウッドとクロームが織りなす精緻な室内装飾に目を奪われる。特にキャビンの周囲を約5.6mにわたって取り巻くルーバー状のトリムは圧巻だ。20の作業工程と63層に及ぶ表面仕上げが施されたトリムはリアクオーターからダッシュボードへ、そして再びリアクオーターへと、芸術的なカーブを描きながら続く。
リアシートにはさまざまな装備が用意された。携帯電話、600W出力を備えた専用設計のBOSEサウンドシステムやDVDなどのエンターテイメント。キャビネットのクーラーボックス内には冷えたシャンパンが、そして銀製のシャンパングラスとコップが用意された。オーナーだけが手にすることができる万年筆とボールペンセットはダンヒル製でマイバッハのロゴが入る。
当時の日本での販売価格は約4100万円からで、最高級のオーダーメイドプランを組むと約1億円にもなると言われた。しかし2011年11月にダイムラー社は、2013年までにこの最高級車であるマイバッハブランドを廃止すると発表した。それまでの約10年間にわたり、ロールス・ロイスやベントレーに匹敵する超高級車の生産に力を注いだが、期待どおりの利益を出せなかったと言われている。