日本自動車業界の救世主クルマ
新型コロナウイルス禍はまだ世界的に収束しておらず、自動車業界も大きな影響を受けている。思い起こせばこれまでにも、該当する国や規模といった差はあるにせよ、世界情勢や経済危機による自動車業界のピンチは何度かあった。だが自動車業界はピンチを乗り越えて来た。ここではそのピンチの際に現れた救世主的な存在となったモデルを振り返り、ポストコロナで登場が期待されるクルマを考えてみたい。
■排ガス規制&第一次オイルショック(1970年代初め)
1960年代は戦後の高度成長期ということもあり、自動車業界もハコスカと呼ばれた3代目スカイラインGT-Rなどのスポーツモデルも次々と登場する華やかな時代であった。しかし1970年代に入るとアメリカのマスキー法に代表される大幅に強化された排ガス規制や、価格高騰に加えガソリンが入手できないことも起きた第一次オイルショックというダブルパンチによりスポーツモデルが次々と絶版となるなど、自動車業界は「もう終わりなのではないか」といわれるほどの大きな打撃を受けた。
だがこのダブルパンチは日本車にとっては意外な追い風にもなった。排ガス規制は1972年に初代シビックのCVCCがマスキー法を一番乗りでクリアし、CVCCなどには遅れたものの、日産の触媒を基盤にした排ガスのクリーン化は現代にも通じるスタンダードとなった。
オイルショックに伴う燃費に関しては特にアメリカで初代シビックや2代目サニーが燃費の良さで人気車となり、日本車は「安くて燃費が良く、信頼性も高い」というイメージを持つようになり、その後の躍進の大きなきっかけとなった。
■バブル崩壊(1991年)
1980年代後半以降日本はバブル景気と呼ばれる空前の好景気となり、日本の自動車業界も特に平成初めは8代目スカイラインでのGT-Rの復活、初代セルシオや初代NSXの登場など、日本自動車史に残る名車が何台も登場した。
しかし好景気はいつまでも続かず、1992年あたりからは「失われた20年」とよく言われる不景気が始まった。バブル崩壊後、日本の自動車業界を救ったクルマとして挙げられるのは、まず1992年登場の2代目マーチだ。
2代目マーチはバブル景気の絶頂期に開発されたクルマながら、バブル崩壊を予想していたような実に堅実な使いやすいクルマで幅広い世代に支持され、バブル崩壊後から坂を下るように低迷した日産を長期間に渡って支えた。
もう1つはミニバン、SUVといったクルマで、当時の言葉でいうRVだ。
RVはこの頃から、セダンがほとんどだった日本のファミリーカーの新しい形になり始めた。特に2代目パジェロやレガシィツーリングワゴン、初代RAV4といったモデルは新鮮でよく売れた。
またRVブームへの対応の遅れもあり、バブル崩壊後には「三菱自動車に吸収されるのでは」という噂もあったホンダも、クリエィティブムーバーと命名された初代オデッセイ、初代CR-V、初代ステップワゴンといった乗用車ベースのミニバンとSUVが、出来はそれほど良くなかったものの、価格の安さとコンセプトの新しさを主な理由に大ヒットし、ピンチだった当時のホンダを救った。