日産のビッグブランド「ブルーバード」のゆくえ
自動車の世界では、「クラウン」や「カローラ」そして「スカイライン」など半世紀以上の歴史を持つ名前が今なお受け継がれることもあるが、いっぽうで高い知名度を誇っていた車名が廃止されることもある。かつて日産を代表するセダンの一台だった「ブルーバード」もそのひとつだ。遡ること約20年前となる2001年で伝統の名前が消えてしまった。果たして、ビッグネームの終焉の裏には何があるのだろうか?
スポーツセダンとしての隆盛
まずは、ブルーバードの歴史から振り返ってみよう。初代デビューは1959年。
ダットサンシリーズの量産セダンとして登場し、1963年デビューの2代目では後にスポーツセダンとしてのイメージを高めることになる「SSS」も設定された。SSSとは「スーパースポーツセダン」の略だ。
初代からはじめていた海外ラリーへの参戦は、3代目(1967年登場)による1970年のサファリラリーで偉業を達成。総合優勝したのだ。ここからスポーツセダンとしてのイメージが急速に盛り上がる。
そしてピークを迎えたのが、1979年から1983年まで販売された6代目。「910」という型式の、後輪駆動を採用する最後のブルーバードである。エンジン排気量1.6L~2.0Lの小型車クラスでは27ヵ月連続で新車登録台数1位を記録する大ヒットモデルとなった。
また、この世代ではレースでも大活躍。「スーパーシルエット(グループ5)」と呼ばれる、市販車の面影を残しつつ派手な外観とした車両が競い合った当時の人気レースでは、スカイラインRSターボなどとともにトップ争いを繰り広げた。そんなモータースポーツのイメージもあり、この世代は「SSS」グレードが強い存在感を発揮。ブルーバードのスポーティイメージを強く引っ張った。
いっぽう、市販車として最もスポーティな仕立てだったのは1987年にデビューした8代目だろう。SSS系のトップモデルに搭載したエンジンは、前期型が175psのCA18DET、後期型は205psのSR20DET。
つまりS13型シルビアと同じエンジンであり、さらにはATEESA(アテーサ)と呼ぶスポーティなフルタイム4WDと組み合わせていた。高性能な4WDセダンだったのである。
そのうえ、ハイカムやコスワース社製の単層ピストンに専用タービンを組み合わせてエンジンチューンを施し(前期型のみ)、クロスレシオのトランスミッションやロールバーまで標準装備するラリー競技向けエボモデルの「SSS-R」まで設定されたのだから楽しい時代だった。
しかし、その後ブルーバードは凋落の道をたどる。1991年から96年の9代目を経て、96年から2001年の10代目を最後に「ブルーバード」という車名は消えてしまった。
「時代のニーズ」は変わり続ける
消えてしまった理由はなぜか。販売台数が低迷したからに他ならない。ではどうして販売台数が低迷したか。ひとことでいえば、「時代のニーズとあわなくなった」からである。
どんなクルマならブルーバードとして認められるかを見極めきれなかったこともあるし、もし硬派でスポーティなブルーバードらしいクルマを作ったとしても、セダン離れが始まっていた当時はすでに人気を得ることは難しかっただろう。ひとことでいえば、ビッグネームゆえに時代を反映したブランディングができなくなってしまったのだ。
たとえば9代目にハードトップとして用意された「ARX(アークス)」は、今にして思えば思い切った素晴らしいデザインだったが、ブルーバードとして考えれば「男の硬派な乗り物」という雰囲気が全くない。時代を先取りしすぎたこともあるし、ブルーバードという車名にはふさわしくなかった。ブルーバードを名乗らなかったら、販売台数を伸ばせたかもしれない。
また、ミニバンなどセダン以外の選択肢が増え、セダンのマーケットが縮小した。そんなマーケットの変化も大きな影響を与えた。結果として、日産ではブルーバードのほかにも「セフィーロ」や「ローレル」「セドリック」、トヨタでは「コロナ」「ビスタ」「マークⅡ」などのビッグネームが2000年前後に消えてしまったのだ。
しかし、ブルーバードの血統は途絶えてしまったわけではない。2000年に「ブルーバード・シルフィ」というコンパクトセダンが登場し、スマッシュヒットを飛ばした。
2012年登場の3代目からは「シルフィ」とブルーバードの名前が完全に消えたが、販売継続中だ。
また中国では2019年の春に新型(4世代目)が登場。現地ではセダンが好まれることもあり、日産のナンバーワン人気モデルかつ、中国における同クラスのトップセラーとして高い人気を誇る。
北米では「セントラ」という車名で、スポーティなセダンとして販売されている。
「ブルーバード」という名前は消えてしまったが、名前を変えることで過去のイメージに別れを告げ、新世代の新しい車として再発進。実質的な後継車は今なお世界各地で愛されているのだ。