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アラフォーが「クルマ好き」なのも納得! 80年代の「国産クーペ」が軒並みカッコ良すぎる

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,MITSUBISHI,MAZDA,Auto Messe Web編集部

待望の直6ツインカム・ターボと4WDを得た真打のGT-Rが登場

 こうしたライバルの進化に対して日産が放った逆転打が8代目のR32系スカイラインに、半年遅れで追加されたBNR32GT-Rでした。レースで勝つために車両規則解釈を最大限に利用したBNR32GT-R

 GT-Rとして初代の“ハコスカ”GT-R(PC10系)もツーリングカーレースで王者に君臨していましたが、このBNR32GT-Rもツーリングカーレースで敵なしの活躍ぶりでした。それもある意味当然で、当時のツーリングカーレースで主流となっていたカテゴリー=グループAの車両規則を徹底的に分析し、パッケージングを決定していたのです。

 すなわちグループAでは、その排気量によって最低重量や使用できるタイヤサイズ、燃料タンク容量などが決められていました。そこで最も有利であると分析した4.5ℓ以下のクラスに編入されるよう、ターボ係数を乗じて4.5ℓ以下に収まる2.6ℓ(正確には2568㏄)という一見中途半端な排気量が決定されたのです。

 さらに、ツインターボで600馬力ともそれ以上とも噂されたパワーを余すところなく路面に伝えるために4WDシステムが組み込まれるなど、BNR32型GT-RはグループAレースに勝つために生まれたクルマでした。もちろんロードゴーイングモデルとして王座に就いたのは言うまでもありません。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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