いすゞのハイパフォーマンスカーを仕立てたイルムシャー
海外では様々なSUVを生産・販売しているいすゞ自動車は、今や国内市場においては大型トラックやバスの専業メーカーとなっています。そんないすゞ自動車ですが、かつてはトヨタや日産とともに国内自動車メーカーの“御三家”として知られ、日本で初めてGTを名乗ったベレットや、流麗なボディが印象的だった117クーペなど魅力的な乗用車を生産していました。そしていすゞの中興の祖となったジェミニにはイルムシャーと名付けられたハイパフォーマンスモデルが用意されていました。今回はこのイルムシャーを紹介しましょう。
オペルのラリー車製作でチューナーとして確立したイルムシャー
イルムシャーはドイツに本拠を構えるコンストラクターで、1960年代にチューナーとして起業しています。当初はツーリングカーレース用のエンジンチューニングなどを手掛けていましたが、GM傘下にあったドイツの自動車メーカー、アダム・オペルAG社と提携し、業務を拡大させていきました。
80年代前半に、ヴァルター・ロールやアリ・バタネンを擁し、オペル・アスコナを主戦マシンに世界ラリー選手権を戦ったロスマンズ・オペル・ラリーチームを筆頭に、数々の偉業を遂げています。
マニュエル・ロイターを擁してアストラで戦ったDTM、ジョニー・チェコットを擁してオメガで戦ったV8スターシリーズなどでもオペルのワークスチームを主宰して活躍。幾度となくオペルにシリーズタイトルをもたらしています。
そんな活躍から評価はさらに高まり、クライアントはオペルのみならず、そのオペルを傘下に持つGMのグループ各社にまで及んでいきました。そしてその業務形態も、モータースポーツのワークスチーム運営だけでなくカタログモデルの企画開発にまで及ぶようになりました。
いすゞとのジョイントは第一弾のピアッツァなど3モデルから
そんなイルムシャーが初めていすゞのクルマ(のチューニング)を手掛けたのは85年のこと。117クーペの後継モデルとして、やはり117クーペと同様にイタリアの巨匠、ジョルジョット・ジウジアーロがデザインを手掛けて1981年に登場したいすゞ・ピアッツァの、何度目かの“お色直し”に合わせて登場したのです。
ベースとなったのは2ℓSOHCをターボでチューンしたグレードでした。イルムシャーによるチューニングのメニューは主にシャシー関係。適度に締め上げたサスペンションで、しなやかな走りはピアッツァのセールスコピーである『シニア感覚』に相応しいものとなりました。
そしてモモのステアリングにレカロのバケットシート、そして通称“ヒトデホイール”と呼ばれることになる大型のフルホイールキャップは三種の神器として、以後のイルムシャー・モデルに欠かすことのできない必須アイテムとなりました。
なお、ヤナセ専売仕様のピアッツァ・ネロと、4ドアセダン専用モデルのいすゞ・アスカにもイルムシャー仕様が追加設定されていました。
「街の遊撃手」にも用意されたイルムシャー・バージョン
イルムシャー・バージョンが最も相応しい、と評判の高かったモデルが86年にフルモデルチェンジを受けて登場した2代目ジェミニ。初代モデルもしばらくは併売されていたために、後輪駆動の初代ジェミニと区別するために、デビュー当初はFFジェミニを名乗っていました。
そんなFFジェミニにイルムシャー・バージョンが登場したのはデビューから1年たった86年5月のこと。FFジェミニとしてデビューした当初、エンジンは1.5ℓの直4SOHCのみで、半年後にはいすゞが得意とするディーゼル・エンジン(ともに1.5ℓ直4のNAとターボ)も追加されていましたが、イルムシャーには1.5ℓ直4のインタークーラー付きターボが奢られていました。ベースモデルに対して、シャシーだけでなくエンジンも強化されていたのです。
87年にマイナーチェンジされた後、ハイパフォーマンスなモデルとしてイルムシャーに加えて『ZZハンドリング・バイ・ロータス』も登場。ただし双方ともにキャラクターが立っていたためか、販売状況に影響が出ることはなかったようです。パリの街中を踊るように駆け抜けていくCMはキャッチコピーである『街の遊撃手』とともに強烈な印象を残しています。