STIの粋を結集。700万円でも即日完売するモデルも
スバルのモータースポーツ活動で得られたノウハウや、そこで鍛えられて生まれたパーツが投入され開発&製作されるSTI(スバルテクニカインターナショナル)のコンプリートカーたち。ただ「最近限定車多くない?」「発売して即完売だから、一般の人が買えない……」っていう声もちらほら。本当のところはどうなんだろうか?
WRCの活動予算を増やすための手段として製作
1989年にSTIのコンプリートカーが登場する背景には、WRCでスバルを世界一にするため、その活動予算を増やす目的があった。当時、久世隆一郎社長(故人)はスバル(当時は富士重工業)の川合勇社長からスバルの販売に貢献することが求められたため、スバル車に後仮装する限定車にその活路を見出した。
初のコンプリートモデルは初代レガシィRSタイプRA(車名にSTIのサブネームは付かず、ボディサイドに、Handcrafted tuning by STIのステッカーが配されるのみ)で、STIが全日本ラリーで磨いてきた技術を隅々までフィードバックした競技車ベースモデルだった。
月産20台であったが、モータースポーツユースで人気が高く、のちにカタログモデルに昇格するなど、好調なセールスを記録した。その後、1992年には競技車両向けではなく、ストリートユースに特化し、初めて車名にSTIの名前が付く、レガシィ・ツーリングワゴンSTIをリリース。200台限定であったが、上質なグランドツーリングカーとして高い評価を得たことで、STIのコンプリートカービジネスが本格化することになる。
運輸省の指導によりカタログモデルに格上げ!
その後、1994年にインプレッサにもSTIバージョンが追加されるが、このモデルが大きなSTIの転機となる。セダン&ワゴンで月産100台の受注生産で、爆発的なヒットを記録するのだが、登録台数が1000台を超えたととき、「そんなに売れるのなら、型式認証を取りなさい」と運輸省(現・国土交通省)から指導が入ることに……。この一件によって次のSTIバージョン ll からはカタログモデルとなり、人気シリーズとして定着することになる。
ただ、ラインモデルになってしまうと物足りなくなるのか、はたまた欲が出てしまうのか、「STIらしい特別なクルマを出したい」という声がスバルやSTIの社内から声があがり、新たな企画が立ち上がる。それが今だ伝説のクルマとしてスバリストから崇拝される「22B STIバージョン(以下22B)」へと繋がっていく。
WRCで3連覇を達成したWRカーのレプリカとして、採算度外視で製作された22BはSTIバージョンにプレミアムという新たなレールを敷き、これが今につながるSTIコンプリートカーの礎となっている。