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消滅した伝説の車名「セリカ」! 世界に名を轟かせた「偉大すぎる」モータースポーツの歴史とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: トヨタ、童夢、TOYOTA GAZOO Racing、富士スピードウェイ、原田了、Auto Messe Web編集部

すべての世代がレースやラリーなどで活躍

 今年、生誕50周年を迎えたトヨタのスペシャリティカー、セリカ。1970年に誕生した初代のA20/30系から最終モデルのT230系まで、全世代でモータースポーツに参戦してきた、国産車としては数少ないモデルの一つです。そんなセリカがモータースポーツに根を下ろし、紡いできた栄光の歴史を振り返って見ましょう。

幅広いモータースポーツで活躍を見せた初代モデル

 レースでは、セリカ1600GTがツーリングカーレースで大活躍。1600㏄以下のクラスで敵なしの存在になりました。またサスペンションの大幅改造やターボチャージャーの装着などでRクラスに編入されたセリカRやLBターボは、主に耐久レースで活躍しています。1973年7月に開催された富士1000kmのセリカLBターボ

 その究極はシュニッツァーで製作されたGr.5仕様(シルエットフォーミュラ)でトムスによって輸入され、富士のスーパーシルエットレースで圧倒的な速さを見せつけています。シュニッツアーが手がけ、トムスが輸入したセリカLBターボグループ5

 一方、ラリーにおいてはオベ・アンダーソンを擁してWRCに参戦、後の世界制覇に繋がる第一歩を記していますが、国内ラリーにおいても有力プライベーターが活躍していました

セブリングやル・マンにも遠征した2代目セリカ

 1977年にフルモデルチェンジを受けて2代目のA40/50型に移行したセリカは、先代に引き続いてWRCで活躍を続けています。一時期はレースオプションの4バルブヘッドが使用できずに苦戦しましたが、79年のRACラリー(現ラリーofブリテン)から仕様が許されるようになり競争力がアップ。82年のニュージーランドで優勝を飾っています。RA40型の2代目セリカ・ラリー

 一方、レースではターボモデルの海外遠征が目立ちました。これは80年にトムスが童夢と共同で製作したグループ5仕様、トムス-童夢セリカ・ターボです。国産としては先駆けの1台となる本格的なグループ5仕様で、セブリングやリバーサイドなど北米のIMSAシリーズや、フランスのル・マン24時間などにも遠征しています。

 本来持っているポテンシャルは高かったようですが、ラジエターの配置などパッケージング上での問題が出てしまいました。残念ながらトラブル続出、ル・マンでは予選通過を果たすことはできませんでしたが、ル・マン挑戦を始めたトムスと童夢が制作した1台として大いに注目を浴びていました。

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